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2024.08.07

【報告】第35回東アジア仏典講読会

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2024年727日(土)14時より、第33回東アジア仏典講読会をハイブリッド形式にて開催した。今回は柳幹康氏(東京大学准教授)と小川隆氏(駒澤大学教授)がそれぞれ資料の講読を行なった。当日は対面で12名、オンラインで延べ21名が参加した。

 

 

柳氏は前回に続き、「禅宗における仏性説」と題する資料の講読をしてくださった。禅籍に見える仏性の説―衆生には例外なく仏性が具わるが、それは煩悩に覆われているため、それを除く必要があるという理解――を引き続き紹介し、己が心は諸仏と変わる所なく、それを悟りさえすればそこから「種種妙用」が自ずと発揮されるなどと説く大慧宗杲(1089–1163)、後に禅の教科書として広く読まれることとなる『夢中問答集』で著名な日本の禅僧の夢窓疎石(1275–1351)、および今日の日本臨済・黄檗両宗で実践される修行の祖型を構築した白隠慧鶴(1686–1769)の説について紹介し、禅宗において仏性説が前提となっている事例を詳細に示した。

 

 

小川氏は「「無」字の前史」という題目で、「無」字の修行に関する詳細な記録を残した無学祖元(12261286)に至るまでの「無」字の略史について説明してくださった。「無」字とは『無門関』の第一則「趙州狗子」に挙げられる以下のような公案(禅の問題)である――ある時、ひとりの修行僧が趙州に尋ねた、「犬にも仏性が有るのでしょうか」。それに対し趙州は答えた、「無」――。この「無」の一字のみを示す「無」字の歴史は、単なる一公案の歴史ではなく、前半の柳氏の講読にも出てくる、中国禅宗における仏性思想の歴史とも深く関わっているものだと小川氏は指摘する。小川氏は自著『神会:敦煌文献と初期の禅宗史』(臨川書店、2007年)における中国禅宗の仏性思想について述べた後、唐代と北宋における狗子と「無」字の話や、北宋末・南宋初における大慧の看話禅、南宋の「無」字の用例、および日本に伝わった「無」字など、多数の資料を用いながら講読をした。

この講読会を通じて、禅の教えの深遠さとその多様な解釈が明らかになった。特に「無」という概念から、単なる否定を超えた豊かな思想が読み取れることに感銘を受けた。禅僧たちの対話から浮かび上がる「無」と「有」の対立は、現実の認識と本質の理解の間の微妙なバランスを示しており、それは我々の日常生活においても深く考察すべき課題である。禅の思想は、単なる学問的な探究に留まらず、現代人にとっても心の平穏と洞察を得る手助けとなるものであると感じた。今後もこの深遠な教えを探求し続けることが、自身の内面を見つめ直す良い機会になると確信している。

 

報告者:伊丹(EAA特任研究員)