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2022.10.02

【報告】第4回「開発と文学」研究会

2022930日に開催された第4回の「開発と文学」研究会のテーマは、「『豚の報い』にみる開発「救いの論理」を接点に」である。『豚の報い』を輪読テキストにしたのは、「豚」という沖縄の代表的な表象を手がかりに、近代化に伴う様々な開発を経験してきたこの土地の声を、より丁寧に聞かせたいからであった。

発表者の汪牧耘氏は、そもそも「報い」とは何かを軸に作品の読解を進めていた。理屈を笑い飛ばしながら生身で生きるという沖縄人の逞しい姿は鮮やかなものである。しかし汪氏にとってより印象的だったのは、こうした逞しさを培ってきた土壌———「香・臭」、「人間・動物」や「生・死」などといった境界線が混沌としている生活空間———の消失への、作者の受け止め方である。「形式知」が溢れる図書館、人間と豚の断絶を生み出す食肉工場、そしてイメージにふりまわされる観光客。作者は、こうしたある意味で近代的な開発の結果を何気なく沖縄の風土に溶け込ませていた。近代・伝統の対立を解消する鍵は、まさに日常を生き抜くことにあると感じる一時であった。

写真 研究会の様子

ディスカッションの中、柳幹康氏は、『豚の報い』における主人公の過去への眼差しは、解釈学的・系譜学的・考古学的目線のどれにも当てはめることができないと興味深く指摘した。正吉と三人の女の珍道中は、言葉が勝手に先行したり膨らんだりしてしまったことから始まったのであり、時々の「実感」はその営みの原動力だからである。「報い」の面白さは、「主体意思行動」という単線的な関係性をしのぐような因縁のあり様にあると言ってよい。

いくら最初から「よく計画された」開発事業であっても、それに対する評価は時間とともに変化していく。そういう意味で、開発の結果も一種の「豚の報い」である。権力側の巧みな言葉は、脆い未来を導くに違いない。他方で、説明し難い実感のめぐり合いを相乗効果へと向かわせる際には、実は何らかの言葉が求められるのである。

本研究会が、このような新しい言葉の開花を迎える場になることを期待している。

 

参照:永井均、2001、「解釈学・系譜学・考古学」『転校生とブラックジャック』、岩波書店。

 

報告者:汪牧耘(EAA特任研究員)