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2024.06.19

【報告】2024 Sセメスター 第8回学術フロンティア講義

 

2024年67日(金)、EAAの主催で学術フロンティア講義「30年後の世界へ――ポスト2050を希望に変える」が駒場キャンパス18号館ホールで開催された。第8回となる今日は、野澤俊太郎氏(EAA特任准教授)が「空間・技術・創造力——建築史からの示唆」と題した講義を行った。

 

野澤氏は、近代日本における電気照明の急速な普及により、その空間感覚がいかにして「光」によって変化したか、そしてこの変化により生まれた新たな空間認識がその後の照明と建築デザインに与えた多大な影響を解明しようと試みた。電気照明の出現と発達は、住居空間の照明範囲を漸次拡大し、効率性と快適性を重視する機能主義的な空間感覚を育むと同時に、同じ空間内の「陰翳」に対する認識も変化を余儀なくさせた。しかし、野澤氏が指摘するように、このような電気照明という「近代化」によって否定されつつある「陰翳」には、ある種の「反抗」心が生じている。

 

例えば、藤井厚二(18881938、建築学者、京都帝国大学教授)と谷崎潤一郎(18861965、作家)は、眩しすぎる電気照明を批判的に捉えている。一方で、藤井や谷崎の観点も必ずしも純然たる近代社会に対する「反動」ではなく、伝統的な「紙」が生み出す散光(光線を柔らかくする)や「陰翳」を日本の伝統美として再定義することで、光学的かつ建築的に操作可能なものとしての創造力であると、野澤氏は提示している。

最後に、学術フロンティア講義の折り返し地点となる第8回に際し、野澤氏はこれまでの講義内容を踏まえ、惑星時代の人間にとっての「伝統」の位置づけと新しい生のあり方を考えることを呼びかけている。

報告・写真:張子一(EAAリサーチ・アシスタント)

 

リアクション・ペーパーからの抜粋
(1)野澤先生の研究されている住宅デザインや照明という分野は全く触れたことがなかったのでとても興味深いご講演でした。まず戦前の日本でかなり電気が普及していたという事実が意外でした。戦時中を描いた作品の画面の暗さを世相と結びつけて強烈に記憶していたことで、戦前の日本にあったであろう豊かさ、進歩的な文化といったものに気付けなかったのかもしれないです。日本家屋の雨戸や軒の深さがもたらす薄暗さや、障子紙が生み出す散光についてのお話がありましたが、日本家屋がほとんどない北海道で生まれ育った身にはイメージがしづらかったです。先生が紹介されていたような古い邸宅をぜひ見学してみたいと思います。一番印象深かったのは谷崎潤一郎の陰翳礼讃の中で薄暗さの中味噌汁を味わう場面の引用でした。いまや照明器具だけでなくテレビ、パソコン、スマホといった電子機器の明かりに囲まれて生活している現代人は、明るさに麻痺しているところがあると感じます。飽食の時代かつ光が飽和している環境にある私たちの感覚機能は、薄暗がりの中で生活し質素な食事をしていた頃に比べて、かえって鈍って退化しているように思えました。2018年の胆振東部地震に伴う大規模停電がもたらした暗闇の中で、空にはこんなに多くの星があったのか、月明かりは街灯がないとこれほど明るいのかと驚いたことを思い出しました。全て見え、全て感じられることによる精神的な貧しさや、反対に欠乏が生み出す豊かさについて考えさせられました。これからの科学技術が私たちの生活に求める変化は何なのか、西洋の文明を模倣することを選んだ日本人は、今後も世界の流れに追随する道を選んで良いのか、これからの講義も通してより深く考えていきたいです。 教養学部(前期課程)・1年

(2)「伝統らしいもの」に依ること・回帰することについて:ここで対象があくまで「伝統」ではなく、「伝統らしいもの」であることは肝腎なことであるように思われる。伝統にそのまま回帰することも、決して悪いことではないだろうが、それにはその伝統の改善(すべきと感じられる)点を見つめ直す、という段階が欠けている。伝統を無批判に受容し、それを実行するのでは、どこかしらで齟齬が生じ、たちいかなることは容易に想像できる。よってもう一段階踏み込み、伝統を再検討し、「伝統らしいもの」を生み出すことで、伝統に新たなる価値づけが可能になるのではないか。則ち、あくまでノスタルジーに浸り続けるのではなく、もう一度その価値を問い直し、見つめ直していくことで、新たな価値をそこに見出していくことが重要なのではないか。
伝統「らしい」ものというと、まがいもののようで聞こえはあまり良くないが、「らしい」ものを生み出していくなかでの、人々の思考の共有等の過程が伴っているために、伝統よりも「伝統らしい」ものは新たな命を獲得するのではないか。教養学部(後期課程)・3年