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2024.06.12

【報告】2024 Sセメスター 第7回学術フロンティア講義

 

2024年524日(金)、EAA主催の学術フロンティア講義「30年後の世界へ——ポスト2050を希望に変える」が駒場キャンパス18号館ホールで行われた。第7回は、新領域創成科学研究科の福永真弓氏(東京大学)が「藻と人間:惑星サルベージとテラフォーミングの倫理」という題目で講義を行った。

福永氏は、「惑星サルベージ」と「テラフォーミング」という二つの補助線を引き、藻類をテーマに地球と人間の関係また社会技術的な想像について論じた。藻類は、酸素発生型光合成を行う生き物で、空気をつくりだすことから、地球を保持する惑星サルベージである。空気と水が結合する藻類は、「地球」を離れて空気、水、土の生命圏を作るための技術に応用されれば、ネオ・テラフォーマー、すなわち宇宙における新しい地球的な場所を作るインフラの担い手になりうるとして期待されている。

藻類には多様な用途がある。ブルーカーボンという経済資源や食用品として利用される以外、さまざまな成分を含むため、医薬品や工業などでの材料としても利用されている。講義では兵庫県須磨の海の例が挙げられ、ノリ養殖の適応戦略を紹介し、食べるためのインフラとしての海から、社会文化の源流としての海という変遷を通じて「社会技術的な想像」を考えた。こうした議論から、藻と人間の関わりを見直し、人類が自然を再デザインすることで、地球という惑星を支える意義を考えた。

報告・写真:席子涵(EAAリサーチ・アシスタント)

 

リアクション・ペーパーからの抜粋
(1)今日の講義を通して、藻類にこんなにも可能性が秘められているのか!とワクワクした。Q&Aセッションの際に先生が仰った、「技術がじぶんたちの手に負えなくなっている」との言葉が印象的だった。しばしば言われていることだが、技術の発展に伴い人間の奢りも大きくなっているのではないかと感じられる。人間は地球上の一生物に過ぎず、地球全体によって生かされている。このことを忘れずに、まさに「借りを返す」、未来へ繋いでいくといった意識を自分たちが持ち、また人々に普及させていくことが大切だと考えた。 後期課程(教養学部(後期課程)・3年)

(2)講義を通じて、人間中心主義を批判する根拠を説明することの難しさを感じた。福永先生は「環境をどうして守りたがるのかという穿った見方をしている」という言い方をしていたと思うが、これは上に掲げたような困難に繋がっているように感じられた。
現代社会の抱える矛盾の原因として人間中心主義を持ち出すことは可能であり、一定の納得感を我々に(私に)与えるものの、それらの間の因果を示すことには一般的な困難が伴ってしまうから、この説明は究極的には行き詰まりを迎えるように思われる。また、倫理として持ち出すとしても、何が倫理的であるか、そもそもどうして人間は倫理的でなくてはならないかといった、別の問題が顔を出してしまう。
アーレントが言った人間の条件という標語は当にこのような状況に対する鋭い指摘であると感じた。
結局のところ、人間とはなにかという問いが鍵になっているのだろう。これは、本質的に厄介な問いである。それは、十分な計算能力を持った数学体系が己の無矛盾性を証明できないように、我々は基本的に人間の枠組みから逃れることはできないために人間性の策定に非論理的な / 再現不可能なジャンプを要するからである。そして、このジャンプを支える源泉こそが、人間から少しだけ「ずれた」部分、非人間的な部分になると思われる。後期課程(教養学部(後期課程)・3年)