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2024.05.09

【報告】2024 Sセメスター 第3回学術フロンティア講義

2024年426日(金)、学術フロンティア講義「30年後の世界へ――ポスト2050を希望に変える」の第三回では、高橋伸一郎氏(東京大学)が「人類はこれからどのような食生活をしていくべきか――次世代栄養学とOne Earth Guardiansからの提言」と題して講義を行った。

農学とは何か。高橋氏によれば、限られた資源の中で、人類の安定した生存と快適な生活に貢献するための学問である。しかし現在の農学は細分化の問題に直面している。高橋氏は、これを解消するために2017年に始まったOne Earth Guardians(地球医)育成プログラムを紹介した。専門領域間の交流を方針とし、研究者をグループ化して隣接する研究領域と専門性をシェアする仕組みを作って、学生・教員・企業を巻き込みながら応用性を追究するプログラムであるという。

しかし、応用研究では様々な価値観が対立している。それは実験室での成果と社会での実践との対立をはじめとして、日常生活と100年後の生活との対立にまで至る。高橋氏は、対立した価値観を融和・両立させるために、大量生産・消費から脱却し、個人・社会での「量」から「質」への新しい価値観を構築すべきであると指摘する。そして、自身の研究を例にあげ、その意味を具体的に述べた。例えば、20種類のアミノ酸を測れば、肝臓に脂肪が貯まる量が予測できる。未病状態でも、アミノ酸を測ることで病気が予測できるため、それに基づいて食事をコントロールすれば病気を回避できる「食医協創」が紹介された。

人間が生物界を支配している、と考えている人もいるかもしれないが、最も弱い生物である人間は、最初に地球からキックアウトされる可能性がある。講義の最後に、高橋氏は、地球に負荷をかける食料増産よりも、資源の利用や食品ロスを減らすことで人類の生存を支えることを提唱した。日常生活を続けながら、「地球」のことを考える必要が訴えられた。

報告・写真:林子微(EAA リサーチ・アシスタント)

 

リアクション・ペーパーからの抜粋
(1)講義中にでてきたような「自然資本主義」とはどのようなものか?そもそも自然への配慮と資本主義を両立すること/大量生産・大量消費からの脱却と資本主義の両立は可能なのか?→資本主義と大量生産・大量消費は不可分のものかと思っていましたが、自由に商売ができる、自由競争がうまれるなどという資本主義の基本の部分に立ち返って考えてみると案外不可能ではないかもしれません。それこそ講義中で示された、従来廃棄されていた食品の活用や「次世代の栄養学」にもとづいた食料の生産など、革新的(なんか安っぽい言葉ですが、今まであまり行われてこなかったみたいな意味)な手法を用いるとともに、「量より質」という価値観を何らかの方法で(教育課程に組み込むとか、政府主導で企業の上層部の意識改革運動を実施するとかそういう)植え付けていければ実現できるかもしれません。たった今企業の上層部の意識改革と書きましたが、そういう難しいことをしなくても、私たちひとりひとりが「このままじゃまずい」という意識をもち、環境にやさしい消費行動を選択するようになれば、自然と持続不可能な生産様式でうみだされた食料品は売れなくなって企業も「量より質」な商品を作っていくと思われるので、結局のところ私たちひとりひとりの意識改革が一番必要なのかもしれません。どちらにせよもっと未来の地球をどうするか、どう地球を持続させるかに関する教育を行っていく必要がある気がします。(文学部人文学科言語学専修・3年)

(2)栄養学と自分の信念をどのように両立させるべきか、持続可能な「食」とは何か、を考えました。質疑応答の時間で肉食の倫理に関する話がありましたが、私はまさにヴィーガンで、環境問題の解消と工場式畜産へのボイコットでこのような食生活を始めました。先生の仰ったように、人間は雑食でヴィーガンが栄養学的に望ましい食習慣ではないとは理解していますが、自分の信念としてどうしてもヴィーガンの食生活を諦めることができません。また、肉食が私、つまり人間に良いとしても、それが生態系全体に良いことなのか、環境問題や動物の観点からしても良いことなのか、という質問にはポジティブな答えが出されないのではないかと思います。持続可能な食を実現するには様々な方法があると考え、(肉食を含める方法を否定するわけではもちろんないですが)個人的には必ずしも人間が健康であり続けることを前提とする必要はないと思います。(教養学部後期課程・3年)