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2021.05.14

【報告】2021 Sセメスター 第4回学術フロンティア講義

2021年430日(金)にオンラインで開催された第4回学術フロンティア講義は、中島隆博氏(EAA院長)による「近代日本哲学の光と影」がテーマであった。「哲学は役に立っていない」としばしば言われるが、歴史を振り返ると、その役割には悪い面も窺えると中島氏は切り出した。そして、哲学と社会との複雑な関係について、田辺元と九鬼周造の思想的対立に注目しその一端を明らかにした。

司会の石井剛氏による登壇者の紹介スライドより

田辺元「種の論理」をめぐって
講義は京都学派の中心人物である田辺元から始まった。田辺が19395月から6月にかけて京都帝国大学の学生を前にして講演した『歴史的現実』(1940年)は、本質的には学生を戦争に駆り立てる演説であった。

講義スライド抜粋1、田辺元『歴史的現実』岩波書店、1940年からの引用

『歴史的現実』にて、田辺は個人と国家の極めて緊密な関係を主張している。それは中島氏によれば、「種の論理」と呼ばれる彼の哲学の核心であった。なお注意すべきは、彼の考える、個人が集まって種となり、さらにそれが集まって類となる個−種−類の三者関係は、一方向的なヒエラルキーではなく、相互に影響を与えあう三位一体的な弁証法的な関係になることである。
ところが、田辺は戦争末期に懺悔を口にするようになった。『懺悔道としての哲学』(1943年から書き始め、1945年出版)において、彼は「哲学する能力も資格もない」と自らを批判し、そして親鸞の仏教思想を参照し、自力ではない他力の哲学を「懺悔」として示そうとしている。
しかし、他力に向かった田辺はこれまでの論理を本当に離れたのだろうか、と中島氏は疑いを投げかけ、この点は近代日本の親鸞ブームと共に検討し直すべき課題であることを提示した。

九鬼周造の『いきの構造』と偶然性に関する諸論考
以上で見てきた田辺哲学と対照的に捉えられるのは、同様に京都帝国大学に在籍したものの、全く異なる哲学の態度を示した九鬼周造である。広く知られている九鬼の『いきの構造』(1930年)は、運命を見据えながら自由に生きていく結論に至っている。ここで中島氏は「魂」や「心」(esprit, Geist, spirit)ではなく、九鬼が「いき」概念を選択したことに注目した。ここには語源を考えれば「生」(life)という問題への九鬼の関心が垣間見えるという。
また、1935年に九鬼は「偶然性」について論究している。その特徴は未来を志向するものであり、「邂逅」「遇う」をキーワードとし(必然性に取り込まず)真の偶然性を強調する点にある。中島氏は次の引用に注目し、九鬼の思想的性格を見極めた。

講義スライド抜粋2、左は九鬼周造『驚きの情と偶然性』(1939年)『九鬼周造全集』第3巻所収、岩波書店、1981年より。右は中島氏より。

つまり、九鬼は(田辺の主張する)弁証法の効力を否認し、(田辺の求める「国家」という根拠に反して)世界の根拠を問わず、形而上学的哲学的なレベルで偶然性を引き受ける、という振る舞いを示しているのである。
講義の後、教員や学生から多数の質問が寄せられた。田辺哲学の示唆・九鬼哲学の限界や、哲学というディシプリンのあり方(宗教学、倫理学、美学等との交渉)、グローバリズムの今日における「国家」の捉え方などについて活発な議論応答が交わされた。

 

報告:丁乙(EAAリサーチ・アシスタント)

リアクション・ペーパーからの抜粋
(1)九鬼の偶然性を真に偶然性たらしめ、出会いに期待するような考えは魅力的であると同時に難しいことだと思った。人間であるかぎり何か根拠を求める動きから離れることは難しそうだと思われる。自分がどのように行動していけば良いのか、どのようにして生きれば良いのかという指針がないと不安になってしまうからである。世界の偶然性、無根拠さに耐えられない人が信仰に走り、自分が日本に生まれたことの偶然性、無根拠さに耐えられない人が日本人という民族を頭の中で作り上げ、それに運命を見いだしてきた、人間の歴史はそのような過程であったようにも見える。九鬼のいう偶然性を真に偶然性たらしめるという生き方がどのようにして可能なのか。これを問うことが今の人間に残された課題だと感じられる。偶然的な出会いに立ち会えるように自分のアンテナを伸ばし、多様な場をさまようことが一種の偶然性を真に偶然性たらしめる生き方として提示できるかもしれない。(教養学部4年)
(2)田辺が「種の論理」を軸にした「歴史的現実」などで戦争の気力を高めるという方向性から「思想的転回」を行ったということについて「戦争への反省」によって展開したのだという主張があったが、講義全体として田辺元についての話を聞く中で、田辺が戦争への反省から思想の転回をしたという印象は感じられなかった。当然、教え子を戦地に送ったことへの後悔というものはあったであろうが、むしろ、「戦争に勝つ上で哲学が無力であったこと」に反省し、その責任を「無」という追いきれない概念に落とし込んでいるのではないかという印象を受けた。九鬼周造の「いき」「偶然」の考え方は捉えるのが非常に難しいものであったが、哲学を美意識という身近なもので語ることに成功したということだと理解した。従って、九鬼が哲学として国家という構造に歩み寄れなかったというのは、やや厳しすぎる指摘に感じる。(教養学部3年)
(3)今回の授業では、日本の近代の哲学者2人の業績から、哲学のあり方や哲学者のあり方について深い理解をすることが出来ました。(実際の哲学の内容に関しては抽象的で何回か見直しても理解しきれない部分が少しありましたが)その中で、私は、哲学者としての対象と自身との距離感について興味を持ちました。当講義の目的である哲学者の紹介とは少し離れてしまいますが、今回の話では、田辺氏の懺悔という哲学についての話の際に述べられていました。ほかの例で行くと、科学者と科学哲学や、政治家と政治哲学の関係がこれに該当するでしょう。現状哲学者ではなく科学者を目指している者として、自分に非常に関係のある話だと考えられたので、この適切な関係を問に立てることにします。この問題に関しては、先生が最後の答弁の際に仰っていた「哲学の哲学」と言うべきものに学ぶのが良いと考えます。というのも、対象の主観を擁した状態で哲学を「正しく」理解できるか否かは、前例を確認したり著名な方に話を伺っても、多分に独善的要素を含んだ事しか得られないだろうと考えられれからです。以上のように、今回は理系の人としての感想を述べましたが、当講義を通じて、1度西洋・東洋哲学について腰を据えて学んでみたいとも思いました。(理科一類 1年)