2019年度秋学期EAA中国近現代文学研究会の第五回イベントは2020年1月16日に本郷キャンパス・赤門総合研究棟で行われた。今回参加者は趙樹理『邪不圧正』に対する倪文尖の読解を羅崗の読解と比較しながらディスカッションした。
まず、王欽氏(東京大学東アジア藝文書院特任講師)は二つの論文におけるそれぞれの問題意識を指摘した。倪氏の『如何に趙樹理を精読すべきか』は、現代読者、とくに近代西洋小説に慣れている読者のもつ文学に対する基本的な理解のし方と読解の策略を出発点として、趙樹理のテクストをもって違う文学的表現と受け取り方を打開しながら、「主体」「人物」「環境」など、文学的テクストを読むときに用いられる一連の概念を批判的に反省しようとする。それなしには、趙樹理を含んだ所謂「十七年文学」の有している歴史的意味と文化的―政治的意味が適当に現代の歴史的文脈に関与するはずがないし、現代読者の文学を読む経験にぶつかりながら、読者を自分の置かれる時代の歴史性、とくに社会主義時代との連続性と非連続性を批判的に意識させるはずがない。一方で、羅氏の『「事情」そのものに戻る』は『邪不圧正』の核心問題に切り込んで、小説の中であらわれる「旧暦時間」「民国時間」「新歴時間」という三種類の紀年システムの差異と関連性を強調し、そこに提示されている農村社会においての土地革命の正当性、そして経済的問題に潜んでいる階級闘争と政治主体性の問題を論じている。
倪氏と羅氏は同じように「説理」の問題に焦点を当てている、と王は述べた。ただ、前者はこれを社会主義時期の「暴力」問題に関連しているのに対して、後者は「理」と前近代社会のもつ「慣習」の関係を強調している。兆候として言えば、羅氏の読解は趙樹理のリアリズムが体現しているジレンマをよく露呈させている。それは、一方で、「慣習」は前近代社会において社会関係・人間関係の基礎を築いたが、他方で「礼」としての「慣習」の腐敗はまさに社会不平等と圧搾を覆い隠す手段になってしまう、ということである。「説理」において、社会主義の土地改革が直面したのは「慣習」そのものではなく、「慣習」の腐敗といってもいいかもしれないが、そうしたら、如何に社会主義における「新たな倫理」を前近代社会においての倫理的秩序と調和すればいいのか。充分な答えができなければ、「伝統に戻れ」というようなスローガンが響いてもおかしくない。
鈴木将久氏(東京大学人文社会系研究科教授)は、両氏が共に竹内好の趙樹理論を論及しているが、竹内のはただ趙樹理を研究するための入り口を提示しているだけで、深く研究する方法を提供していない、と言った。実は倪氏の論文はこの点をちゃんと表している。二つの論文を読んだうえで強く感じたのは、「社会史視野」に従っている研究者が歴史の現場へ戻ろうとしているが、倪氏と羅氏があえて現代という視点から趙樹理を読もうとしている。しかし、あくまで現代の視点を強調しても、「社会史視野」が欠けてはならないものである。たとえば、「礼俗社会」を論じる場合、大事なのは当時の農民と知識人はこの問題をどう理解していたか、ということである。
趙樹理の使う言語に触れたのは、趙陝君氏(北京大学中文系博士在籍)であった。趙樹理は方言を意識的に使いながら改造した、と彼女は同郷人として気づいた。彼女にとって問題は、もし現代読者の審美感性はすでに西洋化されてしまったら、もし趙樹理のテクスト――倪氏が指摘したように――「大きい問題の欠片」をあらわしていたら、これらのテクストに面したとき、どうしたらいいか。他方で、中国の南方と北方はだいぶ違うから、『邪不圧正』を当時の土地改革を全面的に反映する小説として読んではいけないかもしれない、と趙氏は述べた。このテクストが1948年に書かれたという事実を勘定に入れたら、それをほかの土地改革を表象しているエクスとを一緒に読まないとちゃんと把握できない。
裴亮氏(武漢大学文学院准教授)は、両氏の論文を対照して面白い疑問を呈した。つまり、趙樹理の文学における開放性と説話性を倪氏が強調しているのに対して、羅氏は時間と事件と世間の間に、うまく関係性を想定している。もしそうでしたら、このような巧妙な仕掛けをもつテクストの要請している精読は、「物語る」ことに矛盾していないであろうか。あと一つ、羅氏の論じた「空間」の問題について、裴は趙樹理そのほかの作家が「自然風景」のような描写を意識的に省略し、自分の作品を「五四」伝統と隔てていることを強調した。「自然風景」を表象することを諦めることによって、趙樹理は時間の重要さを浮き彫りにした。
これにつづいて、王氏は羅氏の読解が趙樹理を読むことにおける緊張に満ちた経験を指摘した。それは、裴亮のいう通りに、羅氏はうまく『邪不圧正』の有する三つの時間構造を描いているが、こういう認識に至るためには、この小説を再読・精読せねばならない。いいかえれば、読者は空間的に精読しなければ、羅氏の結論に至らない。こういう経験は、おそらく趙樹理が自分の文学に対しての規定と矛盾しているかもしれない。この意味で、逆説なことに、趙樹理の小説を系統的・連関的テクストとして読むか、それとも彼の小説を欠片に満ちた不連続的テクストとして読むか、ということを、読者が彼の小説を読む前に下ろさなければならない決断である。
鈴木氏は、1980年代の「純文学」のコンテクストの中で、趙樹理があまり注意されていないし、魯迅が注意されているのも彼の「非政治的」テクストのためだ、ということを強調した。1990年代に入って研究者はだんだん趙樹理を再読し始めるから、彼のテクストに「強い読解」を入れても仕方がないことである。当時の中国人の研究者にとって、1980年代に盛り上がった啓蒙論、文学と政治の関係論などのテーマを反省するため、竹内の趙樹理研究は大事な手掛かりなのかもしれない。だから、両氏は同じ意味で趙樹理を手掛かりとして文学と政治の関係を考えている、と鈴木氏は結論した。これに対して、裴氏は竹内の茅盾論を引き合いに出して、竹内の趙樹理論が同じような関心の延長にあると述べた。1950年代には、趙樹理のテクストが日本に紹介され、ある意味で日本知識人は彼のテクストを通じて現代中国と中国共産党を認識した。だから、趙樹理は当時日本で起きた「国民文学論争」にも間接的に繋がっているかもしれない。
報告:王欽(EAA特任講師)