9月8日には、前日の北京大学校内見学、石井剛氏(東京大学)のレクチャーに引き続き、中島隆博氏(東京大学)のレクチャーと、東大・北京大混合の学生チームによる、両教授のレクチャーを受けてのプレゼンテーションが行われた。
今回の全体のテーマは、「文明とその批判者」であったが、中島氏のレクチャーは、「文明」について論じた明治日本の代表的な思想家、福沢諭吉と中江兆民を題材にしたものであった。
中島氏はまず、「文明・civilization」が19世紀の日本や中国にとって何であったかを問うた。学生からの答えを受け、さらにcivicやcivility、cityとは何か、その訳語である「文明」や「開化」は適切であろうか、についての議論が行われた。そこから中島氏は、「あなたが19世紀に生きていて、もし政策決定権があるとしたら、どうするのか」という刺激的な質問が飛びかかった。学生からはおのずと「文明」と「暴力・帝国主義」、「野蛮」、「宗教」との関係を取り上げられ、より踏み込んだ議論が展開された。
ここで、中島氏は、福沢と兆民のディスコースを用いて、「文明」について再考した。福沢にしても、兆民にしても、彼らの抱いた「文明」観に比べ、明治政府が実際に採用したプランは過度に「宗教的」であったと中島氏は指摘した。「文明」において「宗教」とは必要条件なのか、という問いに対し、日本と中国の近代化の道を振り返ってみたあと、学生からは最後に「文明」と「民主主義」の関係が問われた。「文明」をめぐり、中島氏と学生の間でbrain stormingなやりとりが行き来し、肝心なキーワードが次々と出て、結局「19世紀という文脈」と「東アジアにおける文明」、そして「今現在への意義」まで、大きなテーマに収斂していく、非常に密度のある講義であった。
中島氏のレクチャーの後、昼食を挟んで、学生たちはグループごとに分かれて、三時間、プレゼンテーションの準備のため、議論した。中には食事そっちのけで準備に没頭していたチームもあった。
プレゼンテーションの準備を終え、夕食をとってから、プレゼンテーションの本番が始まった。短い準備時間の中で、パワーポイントのスライドまで用意したチームもあり、いずれのチームも万全の準備だった。
一つ目のチームは、ヨーロッパの侵略に対して東洋の立場でどう対処するかにつき、兆民の『三酔人経綸問答』から考えるとしてプレゼンテーションをした。「文明」と戦争について考える趣旨であった。教授陣からの講評として、西洋から見れば日中などは「野蛮」であるが、日本から見れば西洋、さらに中国こそが「野蛮」であるとされる。とすれば、「野蛮」とは主観的な概念であるといえるが、そこで人類学的観点との関係はどうであるか、ということが問われた。
二つ目のチームは、「文明」とは何かをやはり兆民の『三酔人経綸問答』のテクストから考えるとした。「三酔人」の一人、「豪傑君」は国家主権を説き、西洋の接近は経済力と軍事力の接近を意味したが、それに対して、皮相的ではあるものの、物質的な強化を彼は志向しているが、それはダーウィンやスペンサー、マキャベリに影響されてのことであるとの話題が出た。教授陣からの講評では、civilizationという一つのユニバーサルな概念があるのか、それとも複数のcultureがあるのか、ということが問われた。
三つ目のチームは、社会進化について、中国の具体的な歴史的経験をめぐって、兆民に即して進化の図式に当てはめて考えるものだった。その中で「中体西洋」(western tool with China spirit)や洋務運動、変法自強運動、辛亥革命などが論じられた。教授陣からの講評としては、歴史相対主義をどう考えるかということが問われた。
四つ目のチームは、前日に石井氏が扱った章炳麟の「倶分進化論」を取り上げ、章炳麟にとって「啓蒙」とは何であったかを問題にした。テクストにおける「西洋」と「東洋」の混じり合いや、章における「平等」について話題にされた。教授陣からの講評としては、中国語オリジナルのテクストと日本語訳との比較の問題が提起された。
五つ目のチームは、「文明」とは何かを究極の問題とし、それが時代によって変化するかを考えるとした。思想家たちは、社会進化とその国の位置づけや、「文明」の最終的なゴールについて考えた。宗教と「文明」について、二者が衝突するかは文明化の度合いにより、福沢の頃は両者が衝突する時代だったが、現在では状況が変わっている。そうして、「文明」には、宗教と科学という二つの「深淵」があると結論した。教授陣からの講評としては、宗教の影響は減じてきているが、そのプロセスは国によって異なる、宗教のコアの部分は人々に道徳を植え付ける、他方で「文明」のコアというのは見つけられないのではないかという意見が述べられた。
全てのチームのプレゼンテーションが終わると、教授陣から改めて講評がなされ、表彰の意味で学生チーム全員にEAAのバッグが渡された。
朝9時の中島氏の講義から、プレゼンテーションの準備と本番まで、夜10時近くまでかかった長い一日は、充実の内に幕を閉じた。
報告者:高原智史(EAAリサーチアシスタント)