Journal of Japanese Philosophy(SUNY Press)の最新号「Special Issue: The Possibility of “Tokyo School” Philosophy」が刊行されました。
中島隆博氏(東京大学東洋文化研究所所長)と佐藤麻貴氏(EAAフェロー)がゲストエディターです。
詳細はこちらにてご覧ください。
内容紹介
「東京学派」とは聞きなれない名称であろう。日本研究において「京都学派」は大変よく知られている。たとえ「京都学派」が、「無の論理は論理ではない」と述べた上で、戸坂潤が発明した批判的な概念であったとしても、現在ではそれは西田幾多郎や田辺元を中心とした一大哲学運動として世界的に認知されている。ところが、西田にしても田辺にしてももともとは東京帝国大学で学んだ学生であった。また、戦前においては、井上哲次郎から桑木厳翼へと続く東京帝国大学哲学科の流れは、当時の社会状況と相互に影響しあって、一定の意義を示していたのである。また、大森荘蔵、廣松渉、坂部恵といった戦後の東京大学の哲学者たちは、「京都学派」の問題系を乗り越えることを重視していた。
この特別号では、発見的概念として「東京学派」を用いて、戦前・戦後におけるその意義と広がりを探究することにした。それは東京大学もしくは東京帝国大学に限定されたものではなく、それ以外の東京圏の大学との相互交流も含まれるものである。「京都学派」に対しては、政治との距離をどう測るかがしばしば議論されてきたが、「東京学派」は政治により密着したものである。日本の近代の哲学の有している政治性そして倫理性を考えるのであれば、やはり「東京学派」の議論は避けて通る ことのできないものである。
無論、「学派」というほどのまとまりを「東京学派」が有しているわけではないことも確かである。西田幾多郎が「京都学派」で果たした中心性は、「東京学派」にはない。そこで、トマス・カスリスが示唆するように、「学派」の代わりに「サークル」や「スタイル」という言葉を使った方がより正確かもしれない。それでも、あえて「東京学派」と呼ぶのは、「京都学派」に比べて関心を持たれることの少ない、しかし当時は圧倒的な影響力を有し、戦後決定的に忘却されていった東京の哲学者たちに光をあて、近代日本の哲学の総体を明らかにしたいからである。