青土社より『ユリイカ』2023年7月臨時増刊号(総特集*大江健三郎)が刊行されました。本書にはEAAメンバーの村上克尚氏(総合文化研究科)、EAAフェローの片岡真伊氏、EAA特任助教の髙山花子氏が参加しており、昨年末のEAAシンポジウム「いま、大江健三郎をめぐって」最終日の工藤庸子氏と尾崎真理子氏の対談「紙と声」の記録が収録されています。
戦後文学の終わり——追悼特集
最後の作品となった『晩年様式集』(2013年)以後の10年は、たしかに沈黙の時間ではあっただろう、しかしそれは決して不在の時間ではなかったのだと、ついにその存在が失われたと、彼岸と此岸をどのように定めるべきか迷いながらも認めざるをえないある事実なるものの前に、作家という存在のありようがいま語りだしている。戦後文学の終わりは〈日本文学〉という時代の終わりか、追悼とはひとつの読みである。
総特集*大江健三郎――1935-2023
[目次]
❖回想
若き大江健三郎氏の〈五月祭賞〉受賞作品を読んだ日そしてその後――(追悼のために) / 柴田 翔
死者とともに生きよ――「こんな切れっぱし」とgeneratioの谺(こだま)が立ちのぼる響き / 原 広司
大江健三郎と私 / フィリップ・フォレスト 訳=澤田 直
❖2023/03/03
1970《シンガポールの水泳》 / 司修
破壊と共生の王の死 / 市川沙央
❖いま、大江健三郎をめぐって
大江健三郎「と」死 / 菊間晴子
大江健三郎の「年」と「手紙」――「美しいアナベル・リイ」を手がかりにして / 岩川ありさ
話すように書く――耳の記憶めがけて / 髙山花子
鳥(バード)とBird――英語圏を旅する『個人的な体験(A Personal Matter)』 / 片岡真伊
他者と重なり合う――大江健三郎における想像力論の起源 / 村上克尚
❖対談
〈紙〉と〈声〉 / 工藤庸子×尾崎真理子
❖黄昏を歩む
ニューヨークの〝雨の木〞 / 山登義明
LEDライトではない / 鳥居万由実
❖谷間の村から
構造と固有信仰――大江健三郎における柳田國男の「実装」問題 / 大塚英志
不順国神(まつろわぬくにつかみ)、あるいはセイタカアワダチソウと葛の間を歩む者――「絶対小説家」大江健三郎を悼む / 山田広昭
〈同時代〉の民族誌――文化人類学者が読む大江健三郎 / 里見龍樹
『キルプの軍団』における引用の時空間 / 髙村峰生
ビョウ シン キョウ カン――大江健三郎『水死』論 / 長濱一眞
❖破局と反逆
桃太郎の父――大江健三郎の「大逆」 / 絓秀実
右翼的情動――大江健三郎の一九六〇年前後 / 梶尾文武
詩とテロルのあいだ――大江健三郎「セヴンティーン」と「政治少年死す」についての覚え書き / 王寺賢太
菊の花弁は増殖し… / 雑賀恵子
「宙返り」する戦後民主主義――本土決戦と一九六八年 / 栗田英彦
❖「戦後民主主義者」であるということ
大江健三郎の「戦後」をめぐる、いくつかのこと / 成田龍一
立ちすくむ人の人間への問い――大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』を読み続けるために / 柿木伸之
「日本人」の変容の可能性に向けて――大江健三郎『沖縄ノート』を読む / 村上陽子
核と想像力――大江健三郎の場合 / 岡本拓司
引用と救済――『水死』における「プラトニズムの転倒」と自死 / 石川義正
❖詩
小説の悲しみ / 藤井貞和
❖「本当の事」との対話
「革命女性(レヴォリュショナリ・ウーマン)」を読んで偲ぶ / 青木淳悟
大江健三郎と戯曲の体裁――「革命女性(レヴォリュショナリ・ウーマン)」から / 羽鳥嘉郎
記憶の共同体 / 間宮緑
❖イーヨーと吾良の声
…これが私たちの生活ですからね! / 丹生谷貴志
クイナは二度鳴く――大江健三郎と伊丹十三の『静かな生活』 / 城殿智行
大江健三郎と「美しい少年」――コクトーのしるしのもとに / 野崎歓
多元的な宇宙のはざまで――大江健三郎1963&1983 / 村上靖彦
❖新しい歌
「引用」と「回心」について――『「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち』 / 佐藤泉
星と星が繋がる喜び――『ヒロシマ・ノート』から『人生の親戚』へ…フォークナーとオコナーを手がかりに / 藤平育子
大江健三郎と中上健次 / 渡邊英理
「オートフィクション」におけるジェンダー――ウグレシッチ『きつね』を通して読む大江の後期作品 / 奥彩子
❖ユマニスムの小説家
「われらの性の世界」と一九五九年のリアリティが絡み合うところ――『われらの時代』に関するいくつかの批評 /北山敏秀
性的人間のつなぎ間違い――一九六〇年代前半の大江小説 / 峰尾俊彦
裸形の文学――冷戦下の大江小説と動物的存在 / 高橋由貴
「人間」を定義する文学――ポストヒューマン時代における「あいまい」な人間性(ヒューマニズム) / 坂口周
❖記憶=オマージュ
これからも / 櫻木みわ
〈「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女〉、わたし / 森山恵
大江の〈A〉、オントのにおい / 森井良
❖師匠(パトロン)、あるいは同伴者たち
大江が扉を開いていた――エドワード・W・サイードのアーカイヴから / 三原芳秋
遅れてきた大江健三郎――サルトルにみちびかれて / 小林成彬
大江健三郎とそのミクロコスム――加藤周一を手がかりに / 半田侑子
ラインの監視/自殺への契約書――大江健三郎の他者・江藤淳の他者 / 山田潤治
読む、見る、書く――武満徹を聴く大江健三郎 / 原 塁
❖書くことに向かって
大江健三郎の自筆原稿が問いかけるもの / 阿部賢一
絶望とモデル――私的感慨と『文学ノート』におけるアトリエ / 山本浩貴(いぬのせなか座)
『燃えあがる緑の木』における創作の再定位——伊東静雄「鶯(一老人の詩)」を出発点に / 西岡宇行
大江健三郎のウィリアム・ブレイク――まなびほぐしの過程を探る / 佐藤 光
脳の多様性から見た大江健三郎作品――当事者批評の実践 / 横道 誠
❖想像力という問い
『ピンチランナー調書』と七〇年代の想像力 / 山本昭宏
ディストピアの外部――大江健三郎〈治療塔〉二部作をめぐって / 石橋正孝
大江健三郎と「世界文学」――そのいくつかの概念 / 今井亮一
一九八六年のビーンボール――大江健三郎のアメリカ講演録“Japan’s Dual Identity: A Writer’s Dilemma”を読む / 青木耕平
❖小伝
小説を生きた作家――変革主体の消長と書く主体の揺れ動き / 山本昭宏
装幀=水戸部 功
表紙写真=The New York Times/Redux/アフロ