『耳のために書く——反散文論の試み』が水声社より刊行されました。EAA特任助教の髙山花子が執筆した「言葉の声」が掲載されています。
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近代とは<散文の時代>。
近代とは〈散文の時代〉。グーテンベルクの印刷革命による〈文字/活字の文化〉の覇権は、言葉から〈声〉を奪い、それを〈目〉の言語へと変容させた。私たちは〈声〉なき〈散文の時代〉を生きて久しい。視覚化された言語が産み落とした〈散文〉とは何かを問い直し、記憶による思考から成る〈声の文化〉の行方を英米文学・日本古典文学・文化人類学・環境文学など多岐にわたる視座から探る試み。
【目次】
まえがき 野田研一
第Ⅰ部 テクストの〈声〉を聴く
視点なき思想―反散文論のほうへ―野田研一
声の残響―ハーマン・メルヴィル『白鯨』の口誦性―関根全宏
小説、舞台、教室―声が織りなす『フランケンシュタイン』―中川僚子
言葉の声―髙山花子
第Ⅱ部 聴覚空間の文化
説話の第三極論―声と文字の往還―小峯和明
文章の〈型〉の獲得―学校教育における美辞麗句集―湯本優希
声と音のペダゴジー―音響共同体としての大学―佐藤壮広
世界と「言葉」の正常な関係とは―インゴルドを手がかりとして―奥野克巳
第Ⅲ部 〈声〉から〈声〉へ
語りかける文学の予祝―島尾ミホと石牟礼道子を中心に―小谷一明
野生の中へ―石牟礼道子の口承的な文学世界を翻訳するということ―ブルース・アレン(相原優子訳)
石牟礼道子の「声音」の思想―山田悠介
石牟礼文学における音読表現について―『あやとりの記』を中心に―徐嘉熠
音読に抗して―吃音をめぐる私的エスキス―中村邦生
あとがき 野田研一
ことばと世界が変わるとき 意味変化の哲学
EAA Forum 23 History and Theory of Common Spaces