総合文化研究科教授でEAAメンバーの伊達聖伸氏が『もうひとつのライシテ ケベックにおける間文化主義と宗教的なものの行方』を岩波書店より刊行しました。
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ケベックで発展した間文化主義的ライシテ。その調整の精神が現代社会に持つ意味を、ヴェール問題や宗教教育まで踏まえて論じる。
【内容紹介】
北米にあってフランス語を唯一の公用語とするケベックでは、厳格な政教分離とは異なる間文化主義的なライシテが独自の発展を遂げてきた。そこに見られる調整の精神が、ポスト世俗と言われる現代社会において持つ意味とは。長年ライシテ研究を続けてきた著者が、ヴェール問題、宗教教育、裁判の事例にまで踏み込んで論じる。
【目次】
序 章
カナダのなかのケベック
衰退の一途をたどるカトリック?
本書の問いと理論的射程
本書の構成
第一章 「静かな革命」と宗教性の変貌
一 「静かな革命」を語り直す──宗教と世俗の歴史の観点から
宗教から世俗へという図式を見直す
人格主義の系譜
『シテ・リーブル』とその周辺
二 世俗的ナショナリズムの宗教性──フェルナン・デュモンの軌跡を中心に
カトリック左派としての知的形成
デュモンのナショナリズムの輪郭
世俗的ナショナリズムとデュモンの幻滅
三 文化的参照枠として残るカトリック
デュモン委員会報告書──教会当局とカトリック左派が語る「私たち」
伝統的な信仰実践から文化を所有するための参照軸へ
四 宗教的伝統の世俗社会への再埋め込み
第二章 宗教から言語へ──世俗的ナショナリズムとイタリア系移民コミュニティ
一 宗教と言語
三つのアプローチ
ケベックの宗教と言語
二 「サン=レオナールの危機」からフランス語憲章の制定へ
歴史的・社会的背景
事件の経緯
一連の言語法制定へ
三 再び言語から宗教へ?
フランス語の宗教性?
世俗化と英語選択──比較のなかのケベック
争点の再移動──構図の類似と対象の変化
第三章 間文化主義的なライシテの「誕生」──多元的社会の共生理念
一 ケベックにおける「ライシテ」の起源を求めて
フランスとの対比
二つの解釈
二 一九六〇年代の「ライシテ」をどう読むか
パラン委員会報告書と教育の近代化──ライシテ化の内実
フランス語ライシテ運動(MLLF)の場合──多元主義か反教権主義か
ケベック・ライシテ運動(MLQ)はMLLFの遺産を引き継いだのか
三 間文化主義の起源と展開──多文化主義との関係
四 間文化主義的なライシテの「誕生」
二〇〇〇年代における三つのモーメント
第四章 共和主義的なライシテの台頭──理念の実現か、理念からの逸脱か
一 現代ケベックにおけるライシテをめぐる議論の三つの立場
二 「マニフェスト」と「宣言」──多元主義に向き合うライシテの二類型
「多元主義的なケベックのためのマニフェスト」
「ライックで多元主義的なケベックのための宣言」
三 「ケベック価値憲章」をめぐる攻防のなかのライシテ
「モンレアル大学連合民族研究センター」(CEETUM)の意見書
四 かすみゆく間文化主義的なライシテ──PLQ政権からCAQ政権へ
クイヤール政権と「ライシテ」概念の後景化
ルゴー政権と「ライシテ」の法制化
第五章 社会のなかの宗教──ヴェール論争
一 二つの「静かな革命」の軌跡が交わるところ
二 一九九〇年代──「最初のスカーフ事件」あるいはフランスの論争の場違いな輸入
三 二〇〇〇年代──キルパンからヴェールへ
ブシャール=テイラー報告書──ケベック・モデルの提示と争点の移動
四 二〇一〇年代──ニカブとブルカの着用に関する枠組、公務員のヴェールの可否
九四号法案をめぐって
ケベック価値憲章と六〇号法案をめぐって
六二号法をめぐって
二一号法をめぐって
五 ヴェールを被る理由、被らない理由──ケベックのムスリム女性たちの声を聴く
社会的疎外とヴェール
いつ被るかは自分が決める──ヴェール着用に付随する制約
ところ変われば……──宗教性の行方
黒人ムスリム女性の場合
非ムスリムの見解
小 括
第六章 学校のなかの宗教──「倫理・宗教文化」教育
一 「倫理・宗教文化」と間文化主義的なライシテ──「宗教」関連諸概念の重層化
カトリック側の時代への対応と言説の変化
「宗教」関連諸概念の重層化
宗派教育と宗教文化教育──二つの宗派性と二つのライシテの四類型
一定の合意形成と対立軸の存続および変化
二 小学校の教科書「倫理・宗教文化」における「宗教」の位置
脱宗派化の度合いと規範性の行方
宗教的多様性とスピリチュアリティ
宗教と世俗の並列化、宗教的なルーツの埋め込み
間文化主義的な共生の試み
ユダヤ=キリスト教的な読解格子を通した他者理解
西洋的「宗教」概念の相対化は十分か
寛大の美徳か偏見の注入と再強化か
百科事典的な公平さか退屈な列挙か
三 論争のなかの「倫理・宗教文化」教育──公共空間における「宗教」の位置
「倫理・宗教文化」教育は良心の自由および宗教の自由の侵害に当たるか
私立学校で「倫理・宗教文化」の代替科目を設けることは可能か
「倫理・宗教文化」は宗教教育の隠れ蓑か──ライシテ主義者による反対
「倫理・宗教文化」は男女の不平等を助長するのか──フェミニストによる反対
「倫理・宗教文化」は多文化主義か──ナショナリストによる反対
「倫理・宗教文化」擁護論──ジョルジュ・ルルーの規範的多元主義と現場の教員たち
四 「倫理・宗教文化」から「文化とケベックの市民権」へ──ライシテの完遂か
第七章 法廷のなかの宗教──「宗教の自由」は西洋近代的「宗教」概念の再生産装置なのか
一 「宗教」概念の応用問題としての「宗教の自由」
ケベックおよびカナダにおける宗教の自由
二 先住民の慣習に基づく儀礼は「宗教」なのか──シウイ事件
三 「宗教」の中核にあるのは個人の主観的な信仰──アンセレム事件
四 「宗教」に匹敵する「世俗」──サグネー市議会における祈禱をめぐる裁判
五 「宗教」概念の彼方で「宗教の自由」を平等に保障するには
終 章
一 宗教から言語へ、そして言語から再び宗教へ?
二 ライシテ化か世俗化か──比較のなかのケベック
三 共生の理念としてのライシテを立て直す──非支配、調整、規範的多元主義
注
付録 条文抄訳
あとがき
資料/引用文献
人名事項索