東アジア藝文書院(EAA)では、下記の通り、2025年度も学術フロンティア講義を開講いたします。
開講情報
2025年度Sセメスター 学術フロンティア講義「30年後の世界へ——変わる教養、変える教養」
曜日・時限 金曜5限(17時05分から18時35分)
教室 18号館ホール
※ただし、第1回のみはZoom(URLは学習管理システム「UTOL」の「オンライン授業情報」欄で確認してください)で実施します。
科目区分 教養学部前期課程 主題科目「学術フロンティア講義」/教養学部後期課程 高度教養特殊講義(東アジア教養学)
※履修・授業に関する詳細な情報については、学務システム「UTAS」で確認してください。
成績評価について リアクションペーパーをもとに本科目の合否判定を行います。単位の取得を希望する方は、第2回(4/18)以降の12回の授業のうち、8回以上について、リアクションペーパーを提出してください。授業に関する一般的な質問・意見もこれを通じて出してくださってかまいません。提出締切は、7月20日(日)とします。
開講趣旨
2024年、東京大学教養学部は、第一高等学校の前身である東京英語学校の設立からちょうど150年を迎えた。1949年に新制東京大学のもとで教養学部が設置される前から、「教養」ということばは、一高に象徴される知的エリートへのあこがれのみならず、つねに批判を伴いながら、日本の社会に広く根づき、戦後になると、各大学に教養課程が設置され、日本の高等教育の風景を長らくかたどってきた。1990年代以降、その風景は大きく変わり、もはや大学における教養教育の共通像は消え去り、一方で、教養の学問を独自の思想で掲げる大学や学部が個性を放っている。東京大学もその一つだ。学部教育の最初の2年間をすべての学生が教養学部で過ごすという東京大学のモデルは世界的にもユニークであり、したがって、教養教育は東京大学が独自の価値をグローバルにアピールできる最大の特徴の一つとなっている。 しかし、教養とは結局、何を指すのだろうか。そして、なぜ東京大学では教養をかくも重視するのだろうか。東京大学は、教養の理想を高く掲げることによって、どのように広く社会の発展に寄与しようとしているのだろうか。とりわけ、東大の中で教養の学問を専ら営む教養学部は、いかにして社会からの付託に応えようとしているのだろうか。 複雑さと不安定さが増す今日の人類社会——「VUCA」の時代——において、学問の貢献は益々重要になってきている。そのことは同時に、教養に対する社会からの呼び声が高まっていることを意味している。教養はいま、社会を変革するための智慧として希求されているのだ。産業界でも教養とリベラルアーツに対する渇望が日増しに高まっている。では、わたしたちが教養学部で日々行っている学問は、こうした社会からの求めに答え得ているだろうか。社会的有用性の追求は学問の独立を損なうという意見もあるだろう。もし仮にそうであるとしても、敢えて無用性に甘んじること自体の意義と価値を主張する必要から逃れることはもはや不可能だろう。 教養概念の一つの解釈は「リベラルアーツ」である。中世ヨーロッパの「自由七科」までもどらずとも、アメリカのリベラルアーツ・カレッジのように、それはつとに確固たる地位を確立している。東アジア諸大学においても、21世紀に入って以来リベラルアーツ学部が新たに設置され、その多くが大いに活況を呈している。教養には社会的効用のポテンシャルが多分に孕まれているだけではなく、その価値は広く社会に認知されている。これは揺るぎない現実だ。 にもかかわらず、人々が求める教養には無数に異なったイメージがある。それはまるで、一人ひとりの人がみなそれぞれに異なった人生の道を歩くことを望んでいるのと同じだ。教養とは、人がより人らしく変化していくプロセスそのものであり、そうした変化をよりよく促すための智慧の技法なのだ。社会が人によって成り立っているかぎり、社会をよりよい方向に変えていくには、よりよき教養が不可欠である。そしてそうであるなら、あるべき教養の姿はまた、社会の変化に応じて自ら変わることを求めるはずだ。教養を変えていくのもまた教養のなせるわざであろうし、そうでなければ、わたしたちは自らの力で自らを変化させていくことを成しえないだろう。 「変わる教養、変える教養」——。わたしたちは、今日の時代と社会条件の下で、いかなる教養を望むべきだろうか。そのために、いまある教養をどのように変えていくべきだろうか。この講義では、こうした問いを受講者の皆さんと共に考え抜きたい。それは、未来に向かってどのような社会を望み、いまある社会をどのように変えていくべきかを考えることとほぼ同義である。 この講義を、「30年後の世界」に向かって、新しい時代の、新しい人の教養を共に鍛える場にしたいと願う。
各回の授業題目
- 第1回 4月14日(月)
ガイダンス - 第2回 4月18日(金) 國分 功一郎(総合文化研究科、哲学)
「享受の快——カントと嗜好品」
楽しむとはどういうことか?ーーたわい無いと片付けられてしまうかもしれないこの問いには、 21世紀の社会を考える上で重要な哲学的アイデアが隠されている 。今回の講義では、この問いの背景を説明した上で、 カント哲学の中にこの問いに迫るヒントを読み取る試みを行う。 カントについて何も知らない人でも受講できる。拙著『 暇と退屈の倫理学』(新潮文庫)および『手段からの解放』( 新潮新書)を読んでいるとより理解が深まるであろう。 - 第3回 4月25日(金) 開 一夫(情報学環/総合文化研究科、発達認知科学/赤ちゃん学)
「30年後30歳になる君たちに90歳になる私ができること:新しい発達科学の創成」
私の専門は「発達認知科学」である。これまで30年間、乳幼児を対象とした実証的研究を行ってきた。多くの研究者と同様に、私も「論文」 を書くことに精力的であった。研究室の学生にも「生きている証として」論文を書くように指導してきた。論文を書くには「 データ」が必要である。自分勝手な思想・思惑を排除するためである。ただ、論文をどれだけ書いても、 モヤモヤとした気持ちが残る。ここでは、 子どもを対象とした実証的研究やそこで得られる新しい「データ」 の維持・管理方法について、子ども達の30年後の笑顔を想像しながら議論したい。 - 第4回 5月2日(金) 細野 正人(総合文化研究科、認定精神保健福祉士)
「教養の力で変える未来:インクルーシブな社会の実現に向けて」
インクルーシブな社会を実現するためには、福祉リテラシーが不可欠である。特に精神保健福祉は、今後の社会において重要な役割を果たすと予測されるが、我が国には多くの課題が存在している。また、アジアにおけるメンタルヘルスや自殺問題の深刻さ、環境が心身に与える影響についても検討する必要がある。本講義では、エンパワメントやコミュニティの重要性を探り、持続可能な未来を創造するための具体的な道筋について議論する。 - 第5回 5月9日(金) 酒井 邦嘉(総合文化研究科、言語脳科学・脳計測科学)
「脳を変える教養、AIに変えさせない教養」
真の教養とは、通説や偏見に打ち克つほどの知性であり、時には闘いも辞さない力を持つ。 現行のAIは人間の脳と比較にならないほどゆがんだ技術である。 それゆえ教養の基礎となる人間力を培うのは、「 AIを使いこなす力」ではなく「自分の頭のみを使う力」 であろう。 人間の脳に内在している創造力の源を引き出すことこそが、 真の教養や教育なのである。活発な討論を期待したい。参考図書: 『デジタル脳クライシス』(朝日新書) - 第6回 5月16日(金) 藤垣 裕子(本学理事・副学長、科学技術社会論・科学計量学)
「壁を越える力をいかに身につけるか~専門家のためのリベラルアーツ」 - 第7回 5月30日(金) 宋 冰(バーグルエン研究所副所長、同中国センター主任)
「Ideas for A Changing World –– Reconceptualizing Myriad Things」 - 第8回 6月6日(金) 張 旭東(ニューヨーク大学、比較文学・東アジア研究)
「The Personal Voice in What It Is To Be Classical: The Essay As Form And Content in World Literature」 - 第9回 6月13日(金) 李 猛(北京大学、哲学)
「孤独者的教育:技术世代的生命体验与世界图景(孤独者の教育:技術世代の生命体験と世界イメージ)」 - 第10回 6月20日(金) 梶谷 真司(総合文化研究科、哲学・比較文化)
「学問の開放性と横断性」 - 第11回 6月27日(金) 王 欽(総合文化研究科、比較文学)
「教養と政治哲学——レオ・シュトラウスを手がかりとして」
教養とは何か。人々が教養を通じてどのような生活を送りたいのか。「良い生活とは何か」が政治哲学の根本的なテーマであると二十世紀の哲学者のレオ・シュトラウスは言っている。教養と政治哲学は共通した問題意識を持っている。本講義は、シュトラウスが五〇年代末に書いたエッセイ、「一般教養教育とは何か」を読むことで、教養という言葉それ自体が古めかしい印象を人々に与えつつあるこの時代において、「良い生活」に必要な教養=知的素養を議論してみる。 - 第12回 7月4日(金) 中島 隆博(東洋文化研究所長、中国哲学・世界哲学)
「古典の最終章を書く」 - 第13回 7月11日(金) 石井 剛(総合文化研究科、中国哲学)
「「文理融合」とは何の謂か——「脳化社会」の教養」
(参考)過去の学術フロンティア講義「30年後の世界へ」シリーズ
- 2019年度「30年後の世界へ——リベラル・アーツとしての東アジア学を構想する」
- 2020年度「30年後の世界へ——「世界」と「人間」の未来を共に考える」
- 2021年度「30年後の世界へ——学問とその“悪”について」
- 2022年度「30年後の世界へ——「共生」を問う」
- 2023年度「30年後の世界へ——空気はいかに価値化されるべきか」
- 2024年度「30年後の世界へ——ポスト2050を希望に変える」
