第4講 4月30日
中島隆博(東洋文化研究所/東アジア藝文書院、世界哲学・中国哲学)
「近代日本哲学の光と影」
田辺元は、西田幾多郎の哲学とりわけその「絶対無」という概念への批判を展開しつつ、自らの哲学的な立場として「種の論理」を練り上げていった。しかし、その「種の論理」は帝国日本の戦争を支えるものであった。田辺が1939年5月から6月にかけて京都帝国大学の学生を前にして講演した『歴史的現実』(1940年)は、学生を戦争に駆り立てる演説であった。
こうした日本帝国に都合のよい「種の論理」を展開した田辺は、しかし、戦争の末期において「哲学的転向」を遂げる。それが「懺悔」であり、『懺悔道としての哲学』である。その「哲学的転向」が何であったのかを検討したい。
その田辺と対照させて、九鬼周造を取り上げる。その『いきの構造』と偶然性に関する諸論考を読解しながら、京都学派の別の可能性も見てみる。
※ 関係者限定
第16回 石牟礼道子を読む会
連続シンポジウム「世界哲学・世界哲学史を再考する」第三回
哲学の領域横断的対話を求めて