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第11回 学術フロンティア講義
「30年後の世界へ——学問とその“悪”について」

第11講 6月25日 
金杭「民主主義という悪の閾 : 光州民主化抗争と忘却の穴」
1980年5月18日、武装した韓国軍の精鋭部隊が半島西南部の主要都市光州に降り立った。前年10月26日、軍事クーデターによって政権を簒奪し19年間權坐にしがみついていたパクジョンヒが側近の銃弾に斃れる。その後、さまざまなセクトがひしめき合う政治状況が続く中、いわゆる新軍部勢力がクーデターによって実質的な権力を掌握する。光州の市民たちはこの暴挙に抗うため立ち上がり、新軍部は抜け目のない軍事作戦で市民を暴徒かつ敵とみなし鎮圧を展開した。5月18日から27日にかけての約10日間、光州は韓国の一都市ではなく戦場へと様変わりし、その市民は軍が守るべき国民ではなく排除すべき敵と化した。時は経て1987年6月、全国的な規模における連日のデモによって新軍部主導の政府は民主化の波を抑えきれず大統領直接選挙制を含む改革措置を発表する。いわゆる6月抗争であり、これは概して5月光州への応答として歴史的な意義を与えられてきた。それからというもの、韓国の現代史は光州と民主主義の勝利の歩みとして語られ記録され記憶されることになる。だがその勝利は根源的に返済不可能な光州の犠牲者への負債を清算しようと試みることに他ならない。その試みのなかから 「忘却の穴」 に葬られるのは民主主義の勝利という 「正義」 の表象から追放されるべき何かである。そしてこの忘却と追放によって民主主義は清潔で衛生的な空間と主体を獲得する。だがその限りなく透明で美しい正義は、悪への想像力を断ち切り排除する限りで成立するものである。今回の講義ではその正義の対価がいかなるものかをめぐって議論をすすめたい。それを通して30年後における我々の民主主義がいかなるものであり得るのか、もしくはあり得ないのか、もしくはあらねばならないのかを推し量る機会となれればと願う。