2022年3月18日(金)15時より、東京大学駒場キャンパスは学際交流ホールにて、映画『籠城』の関係者向け試写会が行われた。あいにくの悪天候だったが、ご多忙の折に時間をつくって足を運んでくださった皆さまに、この場を借りて、心からの感謝を申し上げたい。
会はまず、中島隆博氏(EAA院長)からの言葉で幕を開けた。EAA駒場オフィスが位置する101号館が、旧制一高時代に中国人留学生の学び舎だったことをうけて2019年春に始まった「一高プロジェクト」から派生した「101号館映像プロジェクト」が、このように映像作品に結実したことに祝辞を送ってくださった。また、本作『籠城』を取り上げてくださった『淡青』と『学内広報』も、会場の方々にご紹介していただいた。
司会を務めていただいた石井剛氏(EAA副院長)が話をうけて、続いて、髙山花子氏(EAA特任助教)が、もともと101号館という建築を映像作品にするという企図で始まった本プロジェクトが、紆余曲折を経て、皆様にお披露目できるに至ったことの奇跡的な僥倖と、そのために尽力してくださった関係者各位への謝辞を述べて、開会の挨拶を締め括った。
そうして、いよいよ映画『籠城』が上映された。65分の上映時間が過ぎた後、当日に参加することのできた制作チームの面々が壇上に並んだ――髙山花子氏(プロデューサー)、久保田翠氏(音楽)、永澤康太氏(声の出演)、宮城嶋遥加氏(声の出演)、新田愛氏(声の出演)、金城恒氏(声の出演)、安原由佳氏(声の出演)、高原智史氏(脚本・原案・声の出演)、日隈脩一郎氏(記録)、報告者の小手川将(監督・脚本・編集)である。
まずは、EAAリサーチ・アシスタントだった3名から、本作品の制作プロセスと各人の関与の仕方について説明を行った。
私は、制作チームの全員が「一高とは何か」という問いを共有し、クレジットされた役職に縛られずに議論を重ねて、ひとつの作品をつくっていったことは、人文系の分野ではあまり見られない共同研究らしい部分があったと述べて、芸術創造と学術研究をつなげる無謀な本プロジェクトを支援してくださったEAAおよびダイキン工業会社への謝意を示した。
高原氏は、この作品の原案として書いたエッセイ「独白録」で、一高研究者としての自身の半生を省みて、言葉にし、共同で脚本に仕立てあげる過程で、自分なりの一高への理解が深まったと述べて、論文では捨象されるような研究者の実存を表現できるという本プロジェクトの意義を語った。
日隈氏は、本プロジェクトに参加するなかで、もともと自らの関心が向いていたアーカイヴ理論を実践するに至り、制作プロセスをつかずはなれずの距離で「衛星のように」見守りながら記録した膨大な映像を、これから整理し、活用できるようにする必要があるとして、まだ『籠城』というプロジェクトは終わっていないと未来の展望を強調した。
リサーチ・アシスタントからの報告をうけて、髙山氏が、単に上映して終わりというのではなく、観てくださった方々とのやりとりを通じて『籠城』という作品の可能性はより広がると述べて、会場との質疑応答の時間となった。
会場からは、まず、川下俊文氏(東京大学大学院総合文化研究科・博士課程)が口火を切ってご応答くださった。本プロジェクトのアドバイザーでもある田村隆氏(東京大学)のもとで研究している川下氏は、自分のように一高についてある程度の知識があるわけではない方々にとって、一高についての言葉が多く出てくる本作がどのように受けとめられるのかは疑問だとして、声の出演者たちに、台詞を読んだときの心情などについて問いかけた。
応答して、一高とおなじく男子校出身で、中高一貫校を経て東京大学に入学した金城氏は、自治を標榜する彼らの考え方は身近なもので、それには良いところと悪いところの両面があるが、自らも似たような生活を送っていたと思う、とエリート校としての一高のホモソーシャルな校風と重ねあわせながら自身の過去を振り返って、個人的な経験を伝えた。
安原氏は、これまで東大とはまったく無関係で、むしろ自分とは縁遠い世界だと感じており、最初、『籠城』の台本を読むときも戸惑ったが、だんだんと自分の心情に近いところもあると思うようになったこと、とりわけ、規範が与える帰属意識の安心感と、それでも自由を求める心があり、そのはざまを揺れうごく心情に共感したと述べて、そうして、東大や一高の人たちも自分と同じ人間なのだと思ったと、率直な言葉で自らの感覚を会場に届けた。
他大学から東大大学院に入った新田氏からは、外側から東大にかかわりはじめながら今の所属としては東大内部にある自分の両義的な身分を述べた。そして、異種多様なもの同士が衝突することが重要ではないか、それは過去と現在が対話する作品の構造ともかかわるだろう、と本作品の特徴をまとめつつ、声の出演者たちの混淆性の面白さを述べた。
続いて、中島氏から、本作を見ながら、自身が学生委員としてかかわっていた駒場寮廃止問題をずっと思い起こしていた、というご感想をいただいた。駒場寮において連綿と受け継がれてきた籠城主義と自治の伝統が、廃寮時、決定的に維持できないことが露呈してしまったのだと駒場の歴史を振り返った後、それでは今日、われわれにとって「籠城」とは何であるのか、と根源的な問いを提起した。
EAAは「書院」を掲げている。それは本来、寝食をともにしてともに学知を探求する場であるべきなのだが、それは駒場寮に根づいていたような籠城精神とは異なるものに基礎づけられるべきではないだろうか。つまり、他者に開かれる契機が必要であり、一高にもそのような契機があったのだろうとも思うが、しかし、安定性を求めて閉鎖的になる方向も同時にあったのも確かであるだろう。そのようなアンヴィヴァレンツな籠城精神を作品はよく示しているとは思うが、それでは、そうした精神性が外に開かれるにはどうしたらいいのか、という問いを今こそ考えなければいけないだろう、ということである。
この問いをうけて、まず高原氏が、一高における籠城主義や教養主義の歴史性について説明を行い、自分の研究にとっても、今日における籠城性の意味は大きな課題であると応答した。私は、「籠城性」とは自己の問題であり、アイデンティティ形成のための枠組みとして機能すると応えた。また、とりわけ駒場の一高において、一高生は強く自己規定を行わなければならない時代にあり、そうした歴史のなかで籠城主義は閉鎖的で他者を排除する方向に向かってしまったのだろうと述べた。しかし、今日における籠城性の問いに対する明確な応答は、悔しくもできなかった。2000年初頭まで続く駒場寮とその籠城性について、問題含みの遠大な歴史を取り扱うことは、本作を制作した者の責任であるように感じる。質疑応答の場を借りて、中島氏は大きな課題を与えてくださったのである。
熱い議論が交わされて、上映会は幕を下ろした。会場の撤去もひと通り済んで、なんとなく残っていた制作チームの面々でおしゃべりしていると、ふと新田氏が壇上にあったピアノを弾き始めた。寮歌「新墾」を耳コピして、即興で演奏したのだった。皆、会話をやめて演奏に聴き入った。終わると拍手が起こった。ピアノのそばに数名が寄っていって、新しい会話に花が咲いている。もしもコロナ禍ではなく、もしも制作期間がありあまるほどにあって、このように制作チームが直接会って何気ない雑談を楽しむ機会がもっとあったなら――と、わたしはあり得なかった可能性に思いを巡らせた。次の曲が始まったのを遠目で見ながら、『籠城』の制作プロセスでもっとも美しい時間のひとつだと思った。
報告者:小手川将(EAAリサーチ・アシスタント)
写真撮影:立石はな(EAA特任研究員)