冬季オリンピックが北京で始まりました。中国第5世代映画監督として世界的に知られた張芸謀が2008年に続いて今回も開会式の演出を務めたのですが、主会場の一つである河北省の張家口は、彼の作品『あの子を探して』(1999年、《一个都不能少》)の舞台でもありましたので、この二十数年間で中国が遂げた経済発展の大きさには深い感慨を覚えざるを得ません。
その開会式で、出場国・地域の名を集めた雪の結晶が聖火台となり、その中央に聖火リレーで使われてきたトーチがそのまま取りつけられたことは多くの人を驚かせたようです。朝日新聞は、環境保護と低炭素社会の実現を願ったという張氏のコメントを掲載しています。一方、中国国内のメディアでは、テレビの実況中継が発した「“微火”虽微,永恒绵长,生生不息」という解釈が伝えられました。「“微かな火”は、微かではあるけれど永遠に途切れることなく続き、生成して止むことがない」と直訳できるでしょう。わたしはこれを、かけがえのない生命に対する讃歌であると理解しました。雪の結晶を象ったオブジェは世界と人類そのものであり、それらがたった一つの「微火」を祝福されているのです。「微火」を消さないための智慧を、わたしたち人類は普遍的な課題として求め続けなければならないということなのでしょう。
いまわたしは、「「琉球」再考」と題するシンポジウムが終了した直後にこれを書いています。たいへん光栄なことに、このシンポジウムでは、かつての琉球王国の王家であった第二尚氏の後裔である尚本家第23代当主尚衞さんと、尚家の祭祀を司る臨時聞得大君の尚満喜さんにお越しいただき、それぞれから基調講演を賜ることができました。尚衞さんが「沖縄県祖国復帰50周年の年を迎えて」と題して年頭のあいさつをインターネット上に寄せられていることに、わたしは閉会の辞で言及しましたが、そこで紹介した部分を抜粋したいと思います。
昔琉球國があり、私共の祖先は琉球民として生きたが、新たに日本人として生きる選択をした、と言うのが現在までの歴史であります。その選択は琉球民が持つ「平和を愛し争いを好まない」と言う誇りに基づいての選択だったのかと思います。
「平和を愛し争いを好まない」という誇りに基づいた選択は、同時に、日本もまた平和を愛し争いを避けるべき国家であるにちがいないという期待と信頼の表れであり、50年前に復帰が果たされたことによって、この誇りは、琉球民のものであると同時に、日本という国家に住まうわたしたちひとりひとりにとっての誇りへと昇華したと言うべきでしょう。この復帰を共に祝福するのであれば、そうした誇りをわがこととして引き受けることが必要です。つまりわたしたちは、今日の日本が「平和を愛し争いを好まない」ことを誇りとするに足る国であるのかどうか、この「復帰」が沖縄の平和を本当に増進するものになっているのかどうかを厳しく問いつづけなければなりません。
今回のシンポジウムは、「琉球」を考えなおすことを主題としていましたが、個々の研究発表は、稲作伝播と北東アジア文化の遺伝学的関連、台湾の樹木信仰、アイヌ人学者の歌謡研究など、琉球とは別の地域に関するものが多数でした。その事実はわたしを粛然とさせるものでした。なぜなら、「琉球」を相対化し、そこからある種の普遍性に触れようと企図したこのシンポジウムは、とりもなおさず、日本が明治以降第二次世界大戦に至る近代化の過程で拡張し、領土化し、植民地化し、さらには「共に栄える」地域秩序を築こうとした、かつての帝国の欲望をそのままプログラムとしてなぞりあげるものだったからです。「東アジアからのリベラルアーツ」は東アジアの地域性(「indigeneity」のことだと思います)に立脚した普遍性を求めるものなのだと中島さんは冒頭のあいさつで述べました。この普遍性と、今日のシンポジウムが求めようとした普遍性とは、いったいどこまで相互に重なり合うものでしょうか?日本の帝国主義が西洋近代に代わる新しい普遍であろうとする企てでもあったことをわたしたちは忘れることはできません。琉球、台湾、アイヌ、北東アジア。これらのフィールドを対象とする発表が、「東アジアからの普遍」というアジェンダの下に設定されたことにどのような意味が託されるべきなのか、それを繰り返し問い直さなければなりません。
平和を愛することは、自分たちの生活圏がその内部で調和を保つことだけを希求することであってはならないはずです。平和を愛するとは、必然的に世界の平和を愛することであり、それはまるで、今もきっと北京のスタジアムを飾っているはずのあの雪の結晶が「微火」を祝福するのと同じように、全人類が同じくする願いであるはずです。東アジアからのリベラルアーツとは、したがって、東アジアの伝統と文化をただ見なおすというプロジェクトではないのです。それは、「平和」への期待と信頼が内部での差別や抑圧のみならず外部への途方もない暴力へとすり替わってしまった現実の歴史に対する反省を出発点とすることによってのみ、初めて可能となる新たな学問の試みです。
このシンポジウムで主役を務めたのは、日ごろEAAを支える若い研究者たちでした。彼らもきっとこの出発点を共有してくれるであろうとわたしは願っています。わたしたちが民族の誇りと共に今日に続く歴史を選び取った琉球の人びとの過去からの声に応答し、未来に向けて共に歩んでいくためには、きっとそれ以外にないのですから。
石井剛(EAA副院長/総合文化研究科)