毎年この時期に行われる、北京大学と合同のサマー・インスティテュート。今年は仙台での開催となりました。本来は、1年ごとに北京と東京で持ち回りにする約束だったのですが、新型コロナウィルス感染症の世界的流行に阻まれて、東京で実施したことはまだありません。そして今回は、いろいろな事情が作用して、初めての日本でのサマー・インスティテュートを仙台で行うことになったのでした。プログラムを策定した張政遠さんは東北大学出身ということもあり、東日本大震災被災地のその後を見届けることを言わばライフワークのようにしていますから、今回もおのずと津波の被害が激しかった閖上地区の見学など、震災の記憶と復興に関して参加者の皆さんが現場を訪れながら考える機会となりました。交流の主会場となったせんだいメディアテークには「3がつ11にちをわすれないためにセンター」が併設されており、もしかすると自由時間にはそこを訪れた学生さんもいたかも知れません。しかし、記憶というのは両義的です。苦痛の記憶はいつまでも人を苛みますし、傍観者の目からは「スティグマ(烙印)」となって偏見と差別の温床にもなりまねませんから、忘却してしまいたいと思う心が生まれてくるのは当然です。その一方で、肉親や友人の死を悼み、失われた郷里を想う気持ちを抑えることは難しいでしょう。それに加えて、復興が必ずしも被災者の理想に沿わないかたちで行われ、日本社会の全体ではその半面で急速に記憶の風化が進んでいくと、復興半ばの地域の人たちは取り残され、切り捨てられていくことへの不安、ひいては憤りすらも感じることでしょう。したがって、忘れたい、忘れられない、忘れたくない、忘れてほしくない、などの気持ちがせめぎ合う中で、日々はこうして過ぎているのです。参加者の皆さんは、多かれ少なかれ、自らの身体でそうした現実のほんの一端に触れ、それについてお互いに話し合いながら、プレゼンテーションを練り上げていったようです。そのこと自体が貴重な出来事であったでしょう。
しかし、教員からの最後のコメントとして孫飛宇さんが投げかけた問いは、皆さんが三日間の見聞と議論を経て、それぞれの力でたどり着いたステップを、一気に高いレベルに向かって引き上げようとするものでした。孫さんの問いをわたしなりにパラフレーズするならば、それは「被災者と被災者でない者を分けるのはいったい何か?」という問いです。この問いは、皆さんの発表を聞きながら、うまくことばにはできないモヤモヤを感じていたわたしをはっと目覚めさせるものでした。孫さんはこう言ったのでした。「あなたがたは被災の現実を体験していないという。しかし本当にそうなのですか?皆さんもまた皆さん自身の現実の中でさまざまな苦しみや痛みの経験をしながら育ってきているはずではないでしょうか?」
そこで、以下ではこの問いをわたしなりに引き受けてみたいと思います。
今回、「文明と風土」というテーマのために講義を提供してくださった渠敬東さんは、ウィリアム・ターナーを論じた『希望の誤謬——ターナー論』という刊行されたばかりの著作の中で、エドマンド・バークの崇高論を引用しています。それによれば、危険と苦痛は愉悦に変わりうる可能性を随伴しており、恐怖や驚きに襲われた際に、「一定の距離を置く」ことで危険を免れた瞬間に、大自然の圧倒的な脅威に対する言葉を失うような畏敬の念が湧きあがってくる、それが「崇高」です。渠さんは、かかる「人を悦ばせる恐怖」は良知の呼び声であり、あらゆる道徳秩序の源であると述べています(同書、17ページ)。
EAAの仲間には崇高をテーマに研究を続ける星野太さんがいます。彼はこのバークの崇高論(『崇高と美の観念の起源』、1757年)が当時多くの人に読まれた背景として、刊行の2年前に発生したリスボン大地震の経験があったであろうことを示唆しています。実際、リスボン大地震は当時のヨーロッパ社会に大きな驚きをもたらし、カントも複数の地震研究論文を後に著しています。そして、星野さんの教えてくれるとおり、カントこそはこの地震を念頭にしながら彼自身の崇高概念に関する考察を進め、やがて『判断力批判』(1790年)へと結実させたのでした。
1755年11月1日にリスボンに近い海域を震央として発生した大地震は津波や火災を伴って大きな災害となり、被害はポルトガルだけではなく、スペインやモロッコにまで及んだといいます。しかし、それにしてもバークもカントも地震の被害を直接受けたとはあまり思えません。なるほど、崇高とはたしかに一定の距離を置くことによって初めて観念されるものなのでしょう。言わば、傍観者の感覚なのです。だからこそ、星野さんは、バークやカントが気づくことのなかったであろう崇高を構成するもうひとつの感情として、「カタストロフに魅せられる「疚しさ」」を挙げています(星野太『美学のプラクシス』、32ページ)。星野さんは、そこで考えます。
重要なのは、魅惑と拒絶が入り交じる、その曖昧で仄暗い感情から目を背けないことだ。その感情を抑圧しつづけるかぎり、人はカタストロフによる崩壊を埋め合わせるための、偽の紐帯に屈することをまぬがれない。〔中略〕そうした紐帯に回収されずにいるためには、独善的ではなく、かといって脆弱でもない、みずからの小さな領土を確保するための技術(アート)が必要である。そこに欠くことのできないものがあるとすれば、それはいかにももっともらしい畏敬や憐憫の感情ではなく、自分が安全な場所を占めてしまったことによる、一抹の疚しさであるだろう〔後略〕。(同、33ページ)
疚しさを別の道徳的呼びかけに回収されることのないままに保ちつづけること、それが崇高に魅せられることを拒否できないわたしたちにとっての道徳の源泉である、とまでは星野さんは言っていませんが、渠敬東さんや孫飛宇さんならおそらくそのように言いきることでしょう。わたしはそう思います。なぜなら、仙台にいる間、寝食を共にして彼らと語りあったことの中には、「偽の紐帯に屈する」ことのない教育をいかに彼らが実践しているかということが確固として含まれていたからです。そしてわたしは、大学における学問こそは、確保すべき「小さな領土」になるべきであり、それを永遠の未来において実現するべく努めることこそがEAAの役割であるということを確信しています。
春学期に、わたしたちはオムニバス講義「30年後の世界へ——ポスト2050を希望に変える」のなかで、復興の技法(アート)をテーマに掲げたのでした。気候変動に代表される大きな環境変化の中で、わたしたち人類は今後数十年、さまざまな災害と共に生きていくことを強いられるでしょう。言い換えれば、復興とは一度かぎりのプロセスではなく、繰り返される災難の中から何度でも生き直そうとする終わりのない繰り返しにほかならないのです。それは途方もないことのように思えます。しかし、そうでしょうか?わたしには、そのような繰り返しこそが人生であり、人がよりよき人に向かって成長していくとは、まさにその繰り返しにほかならないと思えてなりません。
リスボン大地震と言えば、ヴォルテールの小説『カンディード』を思い出す人も多いでしょう。しかし、読めばすぐにわかるとおり、この小説は大地震だけを取り上げた作品ではなく、登場人物たちは何度も何度も死地を彷徨う苦難を経験しながら世界をめぐります。それはあまりにも壮絶で、彼らは最後には、「神が創造したこの世界で生じることはすべて必然的であり同時に善である」とする信念を放棄するに至る、と一般には評されています(わたしはこの小説の結末をそう読むのはじゅうぶん正確でないと思っていますが)。しかし、彼らはニヒリズムに陥ったわけではありません。
「ぼくにわかっていることは」と、カンディードは言った。「ひとは自分の畑を耕さねばらない、ということ」「そう、そのとおり」パングロスは言った。「人間がエデンの園においてもらったのは、聖書にもあるとおり、そこを耕すため、つまり労働をするためなのです。〔後略〕」(『カンディード』、227-228ページ)
彼らはこうして、仲間と共に労働することに悦びを見出していきます。そしてそこにはもはや、唯一の神に対する帰依の定めはどうでもよいものになっていました。いや、きわめて人間的な、地に足の着いた生活を愛する人たちがそこにはいました。
ヴォルテールには「リスボン大震災に寄せる詩」があります。その最後の一連を引用しましょう。
かつて、あるカリフは臨終のさい
つぎのような祈りの言葉を神にむかって唱えた
「唯一の大王、唯一の無限の存在であるあなたに
私は唯一あなたがお持ちでないものを捧げます
すなわち、欠点、後悔、苦悩、そして無知」
いや、神に欠けているものはまだあるぞ、それは「希望」だ(同、248-249ページ)
欠点、後悔、苦悩、無知に満ちた人間。しかし、そのような人間であるからこそ、「希望」もまたそこにあるのだ、詩人はそう気づくのです。もちろん、希望とは往々にして何とも陳腐で空虚なかけ声です。渠敬東さんのターナーこそは、その陳腐さと空虚さを冷徹に見据えた文人でした。その著作のタイトル「希望の誤謬」は、ターナーの詩から取ったものです。それはハンニバルのアルプス山脈越えを詠んだものでした。このアルプス越えは何とか成功したものの、その軍勢は深刻な打撃をこうむったようです。ターナーの「Snow Storm」と題された有名な油画はまさにその壮絶ぶりを描いています。この画は歴史に仮託しながらナポレオンの失敗を予言するものであったとも言われているようですが、ともかく渠敬東さんはこう言います。
ハンニバルの世界征服の野心は、必ずや自然によって打ち負かされる。ここでいう自然とは吹雪のようにすべてを破壊する自然の力だけではなく、人の自然にひそむ欲望、虚栄、懦弱でもある。(『希望の誤謬——ターナー論』、66ページ)
何という希望の誤謬!希望は往々に欲望や虚栄心、そして懦弱を糊塗するための強勢として現れ、そしてそれは「必ずや」打ち負かされていくでしょう。星野さんが言う「偽の紐帯」もまた、そのような希望に塗り固められた道徳の装いでわたしたちの前に繰り返し現れるもののことかも知れません。
わたしたちの希望は、そのようなものとは別のものであるべきです。わたしは、最終日のコメントで魯迅の「忘却のための記念」ということばに触れました。記憶するのはなぜか。なぜ忘れてはいけないのか。これはそう簡単に解ける問いではありません。だからこそ、この魯迅のことばを、今後、今回の体験について思い出すときに、皆さんには思い起こしていただきたいと思います。魯迅のことばは同名のエッセイのタイトルです。そこでは、魯迅と共にハンガリーの詩人ペテーフィの翻訳に関わった若者の非業の死がテーマになっています。そして、魯迅もまたペテーフィから「希望」を与えられた人でした。
仙台と言えば魯迅です。わたしは魯迅に導かれながら、この旅を人なつっこい笑顔を絶やすことなくしかも哲学者のような深い眼差しを湛える北京大学の先生方と共にしてきました。長くなりすぎたこのレポートの最後は、やはり魯迅で、しかも彼がペテーフィから受けとった「希望」のことばによって締めくくりたいと思います。
絕望之為虛妄,正與希望同!
石井剛(EAA院長/総合文化研究科)