3月に続き、台湾は高雄にある中山大学を訪れました。数日後には張政遠さんも合流し、フレンドリーな滞在になりました。たまたま到着した日の晩が満月のせいだったからなのか、ホテルの目の前ではにぎやかな廟会がもよおされ、神輿の行列や古典劇の上演、さらには中華圏でお祭りの際には欠かすことのできない爆竹など、大いに盛り上がっていました。たぶんここでもCOVID-19のおかげで数年間コミュニティのこうした活動が制限されてきたのではないでしょうか。
わたしが今回訪問したのは、中山大学文学院の頼錫三さんが中心になって進める「跨文化漢学之島:国際漢学平台在中山(文化横断漢学之島:中山国際漢学プラットフォーム)」というプロジェクトに招かれたからです。「国際漢学」はGlobal Sinologyと訳されます。Sinologyというのは、日本で古くは「支那学」と呼ばれていたもので、古典中国学/中国古典学のようなものをイメージするのが適切だろうと思います。特に中国語で「漢学」と称される場合は、海外で行われている古典中国学/中国古典学を指すことが多く、ときに現代中国の問題にも触れますが、基本的なスタンスは古典的な人文学をベースにしています。彼らは「国際漢学」を標榜していますので、「漢学」にもともと含まれる外国研究としてのニュアンスが二重に含意されているような格好になっていますが、それは台湾という独特の地政学的性質に負っていると考えることができそうです。もう一つ、彼らが「国際漢学」を提唱する際に強調するのが「跨文化研究」という方法論です。Trans-cultural studiesの訳ですので、日本語では文化横断的研究と言うのが相応しいでしょうか。台湾学術界の特徴の一つには古典中国学/中国古典学の担い手に多くの海外出身者(欧米や日本)がいることが挙げられます。かれらは自由自在に中国語を操りながら、東西の古典に跨がる研究を展開していますし、またそういう人たちが媒介となって欧米日各地で活躍する研究者とも多元的なネットワークを形成しています。中山大学は、台湾に数ある大学や研究期間の中でも、そうしたネットワークの強力なハブとなっています。頼錫三さんいわく、中山は「危険」な所だということです。そのこころは、彼らが主催する学術イベントに参加すると必ず次の研究協力に向けて、新しい人との間で宿題が生まれるからだということですが、だからこそ、わたしにとっても、高雄を訪れることは新鮮な刺激に満ちた経験になっています。そして同時にそれは、台湾というトポスの特殊性とも相俟って哲学的な経験でもあることを補足しておきたいと思います。哲学的というのは、台湾について考えることが自ずと人間と世界に向かう智慧の鍛錬に直結してしまうということです。
東アジア藝文書院もまた、彼らと同じように「危険」な魅力を湛えた、国際的な研究ネットワークのプラットフォームとして機能したいものです。そして、今回の訪問が象徴しているように、そのネットワークは確実に広がっています。ちょうどこれを書いている時には、ハンブルクで張旭東さんが推進するICCT(国際批評理論センター)の枠組みで毎年行われているWinter Instituteがまさに盛り上がっているはずです。また、わたしの高雄訪問と時を同じくして、田中有紀さんは北京の清華大学を訪れ、中国や韓国の同世代の若い研究者たちと交流を深めています。わたしたちがひっきりなしに海外からの客人をお迎えしていることに至っては、このウェブサイトでも逐一報告されているとおりです。
わたしたちの国際的な哲学の友情はまだまだ緒についたばかりなのです。
石井剛(EAA院長/総合文化研究科)