社会連携と「根源的な中立性」
怒濤のような勢いで過ごした1学期がようやく終わりました。そうは言っても8月に入っても毎日何かしらの用事があって家にとどまっていることはなく、家にいても書き上げなければならない複数の大きな原稿や、その他学内外諸業務に追われる日々は続いていますので、休みと言える休みはほぼないのですが。
ともかく、5月29日に第12回を書いて以来2ヶ月以上もあいだが空いたのは、忙しかったからでもあり、悦びとはほど遠い現実を見せつけられることも多かったからでもあります。しかし、人生にはつねに何かしらの悦びはめぐってくるもので、それに励まされながら成長していくことが希望につながっていくのでしょうし、そのための決め手はつねに他者との出会いにあると、この間にも数多くあった出会いのたびに実感しながら今日を迎えています。。
この間にあったさまざまなことのうち、わたしにとって重要だと思えることを今後数回に分けていくつか思い出してみます。今回はまず、学術フロンティア講義「30年後の世界へ——空気はいかにして価値化されるべきか」です。UTokyo OCWと共に配信コンテンツとして運営するようになって4年目になりますが、オンライン同時配信が可能になったことによって、それ以来ダイキン工業株式会社社員の皆さまが聴講してくださるようになりました。「空気の価値化」はダイキン–東大産学協創協定が掲げるビジョンですので、これを前面に打ち出した授業を展開したことには大きな社会的意義があったと思います。わたしはその意義の核心を「根源的な中立性」ということばで代表させてみました。「根源的な中立性」は、『荘子』に見られる思想からヒントを得ているのですが、人類の活動が地球全体のシステムを左右する時代における学問のあるべき公共性を示す概念です。「空気」もまた、あらゆる生命が共に生きるための公共性を代表していますから、このテーマで社会連携を強化していくことには、自ずと人類的かつ地球的な意義があります。わたしたちはこのことをより強く訴えていかなければなりません。今学期の講義も今後は書籍化に向けて準備を進めていきますし、UTokyo OCWでのインターネット配信も映像処理が整い次第順次公開されていく予定です。
なお、サムネイルには上野公園は不忍池の蓮花を掲げておきました。蓮花は「出淤泥而不染(淤泥より出でてしかも染まらず)」と言いますので。
――山内久明先生への手紙――(工藤庸子)