ブログ
2024.01.30

悦びの記#22(2024年1月29日)

People
Category
悦びの記#22(2024年1月29日)

  わたしたちは「書院」という名を冠する組織ですが、わたしたちにとって「書院」はまだ抽象的な理念の域を超えていません。しかし、中国の大学ではすでに書院が制度として実体を伴っていることについてはこれまでにも随所で触れてきました。近代的学制の中では香港中文大学に置かれた新亜書院がその嚆矢であると言えそうです。張政遠さんがここの出身であることは、わたしたちの活動にとっても大きなプラスになっています。ただし新亜書院の場合、もともと独立した民間の学問組織だったものがのちに大学に編入されていくという歴史を経たという特殊な背景をもっています。今日中国で広く行われているのは、学寮生活を基盤とした中国ならではのリベラルアーツ教育を模索する新たな学部生教育システムです。
   中国の大学における新たなリベラルアーツ教育の先陣を切ったのはわたしたちのカウンターパートである北京大学元培学院(2001年設立)ですが、今日の書院モデルに続く全人教育型リベラルアーツに先鞭をつけたのは広州にある中山大学で2009年に設立された博雅学院でしょう。「博雅教育」はliberal artsの漢訳語として今日では中国大陸のみならず台湾にも広がっています。この博雅学院を創設した甘陽氏が清華大学に移って基礎を築いた新雅書院は学寮生活を送る寄宿型カレッジ(residential college)として「書院」を定義すると共に、全人教育をリベラルアーツの中核に据えました。元培学院も近年来、寄宿型カレッジ元培書院として学寮の整備に注力しています。この新たな書院制度の試みについては、先行する香港やアメリカの事例などを相互に紹介するフォーラム2019年に行われており、わたしも参加しています。それ以来、日本における来るべき「書院」を構想することは東アジア藝文書院にとって重要な活動の一部になっています。とりわけ、元培学院や新雅書院との間では、オンラインシンポジウムを2回開催しており、そのうち2021年に行われた「哲学としての書院」については、発言録が日本語で公開されています。また、中国語ですがブックレットも公刊していますので、関心がある方にはぜひご覧いただきたいです。
   さて、ずいぶん長い前置きになってしまいましたが、2024123日にその清華大学新雅書院から40名ほどもの学生さんが東アジア藝文書院を訪れてくれました。当日のようすについてはすでに髙山花子さんが記事をいち早く書いてくれています。折悪しく期末試験真っ最中ということで本学の学生さんからの参加が少なかったのですが、それでも元気な学生さんが前期課程、後期課程、大学院から集まってくれましたので、皆で一緒に第一高等学校から続くわたしたちの「教養」とは何なのかについて考えながら交流を行いました。たいへんうれしかったのは、わたしからの突然のリクエストに対して、中国語の通訳を引き受けて下さった学生さん(後期TLP科目履修中の鶴見響太郎さん)を始めとして、誰もが英語や中国語を駆使しながらたくさんのことを話してくれたことです。清華大学の学生さんもそれを楽しんでくれたようで、英語や日本語で活発な質問を挙げてくれました。また、この席上にはたまたまオフィスに里帰りしてくれていたかつての特任助教八幡さくらさんや、修了生の孔徳湧さんも入ってきてくれて、場を盛り上げてくれました。 

  「書院」はわたしたちにとっては活動が目指す方向を示す未来の概念ですが、一方で「教養」もまた、それが何かを問われると答えが千差万別になるという意味では、未来志向の概念です。こうして国籍も言語も年齢も異なるさまざまな人たちが「教養」とは何かを共に考えるプロセスの中から「教養」が育っていくのだと思います。「教養」とは結局のところ、人がよりよい人になっていくための長い長いプロセスであり、人生そのものであるとわたしは思います。そして、東アジア藝文書院における「書院」とは、さしあたって、かかる意味での教養を育てるために世界中から人が集まり散じていく交流の場であると言うことができるでしょう。 
 清華大学が中国のみならず、世界的にもトップクラスの工学系総合大学であることはもはや言うまでもありませんが、そういう大学において、こうして豊かな教養教育が実践されていることの意味は決して小さくありません。わたしたち東アジア藝文書院は、今後も彼らとの交流を深めて行きたいと希望しています。
 このたびの交流はそのための小さな第一歩でした。
 *サムネイル写真の紅梅は101号館脇に咲いていたものです。立石はなさん、撮影ありがとうございました。