* 第1信 山内久明先生への手紙――(工藤庸子)
【2】工藤庸子さま
山内久明
終生にわたる創作活動を通じて、あらゆる意味で日本文学が世界文学に参入することを実現した大江さんに対する心からなる哀惜・哀悼のこめられたことばでつづられたお便りを拝読し、深い感慨に耽っております。身辺の事情により返信が遅れましたことをお詫び申し上げます。なにとぞお赦しください。
昨年はご高著『大江健三郎と「晩年の仕事」』をご恵送いただいて大いに感激し、拙い感想文をお送り申し上げました。それにお応えくださり、このたびは、自閉症的な私を誘い出していただき、恐縮至極に存じます。大江さんのノーベル文学賞受賞直後の、1995年1月15日発刊の『教養学部報』から掘り起こし、大江さんとの稀有な出会いの場となった駒場というローカルな文脈に即して草した拙文を再録していただき、深く感謝申し上げます。文中にある「文化における火曜日君の話」は、1994年春、まさに工藤さんが主宰なさり、お呼びいただいて私も同席させていただきました。翌週の「いかなる特権ももたないことば」の方は、私が関係した専攻が主宰し、工藤さんもご同席くださいました。二週つづけての大江さんの講義は、駒場にとっては格別の贅沢でした。
駒場という文脈の中で、お触れ下さった話題について、文学的というよりも個人的なスタイルで、あまりにも個人的に堕することを恐れつつ、つづけさせていただきます。世紀の大文学者との出会いが偶然であったとすれば、偶然に対して私はどう感謝すべきか、ことばに窮します。大学入学時に学生は履修する外国語によってクラス分けされ、私は昭和29年入学文科II類7D(今日の文I文IIは未分化で当時は文I、今日の文IIIが当時は文II、「フランス語既習」のCに対してDは「フランス語未習」)、そこで入学後間もなく大江さんに出会います。クラス雑誌に寄せて大江さんが自己を評した「光り輝く精神の果物屋」ということばは、鮮烈なイメージとして記憶の中で生きています。『学部報』の記事にはなく、工藤さんが言及してくださった、「四人組」のあと二人は、TBSで重責を果たした志甫溥と、有斐閣で編集者となった高嶋勇。『学部報』の記事にもある、入学した年の駒場祭でのクラス演劇は、大江さんが台本を書き、志甫さんが演出しました。第五福竜丸事件と核の脅威を強く意識した寸劇は、時代の象徴と言えます。寸劇のスナップ写真が残っています。写真といえば、第二学期のフランス語期末試験のあと、担任の朝倉季雄先生を中心にして写したクラス写真もあります。控えめな大江さんの姿は、後列最上段に見られます。
愛媛県喜多郡大瀬村内子――これが大江さんの故郷の当時の表記でした。地理的「周縁」である「森と谷間の村」は大江作品の舞台としてその意味が膨らみつづけ、魂の救いの場として、世界の「中心」の地位を獲得します。休暇ごとに帰省する大江さんが、インフルエンザに冒され、高熱により朦朧とした意識の中で見た、列車がニシキヘビに変容する夢についてハガキをもらったこともあります。私の故郷である広島は、大江さんの故郷と瀬戸内海によって隔てられているとも、繋がっているとも言うことができます。父が被爆死し、私自身は疎開先から直後に入市した「二次」被爆者ですが、原爆の記憶がトラウマとなって内向し、出口なしの状態で外に向かって表す言葉を持たぬ私に対して、『ヒロシマ・ノート』に始まり、被爆と核問題について語りつづけた大江さんに対する敬意と感謝は言い尽くせません。
大学入学はるか以前に『フランスルネサンス断章』を読んで感化を受けた大江さんは、渡邊一夫先生に憧れ、仏文志望を早くから決めていました。駒場では当時から幅広く豊かな前期課程教育が行われていた一方、履修する第二外国語によるクラス編成は、クラスの性格づけに通じた気がします。必修だけでなく、選択制のゼミも含めると、4学期の間に私どもがフランス語を教わった先生方は、朝倉季雄、山田𣝣、市原豊太、川口篤、田邊貞之助、平岡昇、杉捷夫、平井啓之、水野亮(兼任)など、錚々たる顔ぶれです。辰野隆先生については田邊先生から、アンベルクロード神父については川口先生から逸話を伺い、戦前の仏文研究室の雰囲気が偲ばれました。前田陽一先生の「フランス語書き取りゼミ」は、書き取りといっても日常会話ではなく、パスカルやデカルトの原典を先生が朗誦なさるのを聴いて書き取るもので、フランスの叡智と論理的フランス語の真髄を教えられました。初級文法と動詞の活用からはじまり、一年足らずでネルヴァルやヴァレリーに辿り着くフランス語学習は、「仏文予備門」で学ぶ感触でした。同じクラスには、サルトル学者となる海老坂武さんもいました。
入学前から仏文に進学することを決めていた大江さんが、駒場の前期課程時代に愛読したのが深瀬基寛『エリオット』[鑑賞世界名詩選](筑摩書房、1954)と『オーデン詩集』(筑摩書房、1955)です。ほかに西脇順三郎訳『荒地』(創元社、1952)と、のちに西脇訳『四つの四重奏』が大江さんの読書リストに加わります。T. S. エリオットが大江作品に深く根づくことになる端緒は、実に1954年に遡ります。早くからフランス文学を専攻することを決めていた大江さんが、同時にイギリス文学に傾倒していたことは、イギリス文学を専攻することを志していた私にとって、間違いなくたいへんな刺戟であったと証言したく思います。
工藤さんは第一信で大江さんとノースロップ・フライの関係について多くを示唆してくださいました。私の手に余る大問題ですが、手が届く範囲内で稿を改めて考えを巡らせてみたいと思います。
2023年7月30日 山内久明