2025年3月11日(火)午後、東京大学駒場キャンパス101号館東アジア藝文書院(EAA)セミナー室で、王欽氏の『「零度」日本』の新刊討論会が開催された。討論会では、倪文尖氏(華東師範大学)、毛尖氏(華東師範大学)、鈴木将久氏(東京大学/EAA)がそれぞれ発言を行い、著者の王欽氏(東京大学/EAA)が応答した。司会は石井剛氏(東京大学/EAA)が務めた。
倪文尖氏(華東師範大学)は、本書が中国語圏で出版されたことの重要性を強調した。本書は文化政治論の研究手法に基づいて、中段的な現象に潜む論理を解き明かすことで、従来の研究に見られる現象の構造的な問題を分析する際の効率性や実践的価値の欠如という学問的な課題を克服しようとしていると評価した。「囲碁の中段で盤面を複雑化する」という比喩を用い、本書が中国語圏の文化研究において先駆的な役割を果たしていると称賛した。一方で、倪氏は本書の脱構築主義への批判がキュニコス主義的な傾向に陥っている点を指摘し、「ゼロに戻す」ことから「反転する」可能性の提示に至る過程に思考の断絶があると述べた。さらに、いくつかの章は構成が比較的に整っているが、最終章における理論的な試みには、より閉鎖的な構造や解釈を許容する方向へさらに発展させる必要があると述べた。
毛尖氏(華東師範大学)は、本書が今まで日本の少女を対象する研究とは異なる視点を提供していることを指摘した。従来の研究は少女を研究対象としてやや俯瞰的に捉えていたが、王氏は本書で少女の存在に共感的な理解を示している。毛氏は「少女」と魯迅研究を関連付け、魯迅の作品における少女の「目」の重要性を指摘し、魯迅研究に新たな視座をもたらした。また、「カワイイ」文化が中国に伝わる過程についても論じ、日中各地のメイド喫茶の特徴を比較した。毛氏は、中国における「カワイイ」は目よりも身体表現に重点を置いていることを指摘し、そこに新たな関係性の再生の可能性があるかどうかという問いを投げかけた。
鈴木将久氏(東京大学/EAA)は、日本社会の内部にいる立場からながらも、本書で扱われる内容について深く理解できていない部分もあると述べた。しかし、本書に描かれる日本社会の現実は自身の体験とも共鳴する部分が多い。本書は少女というキーワードから日本社会に介入し、既存の学問的枠組みに新しい空間を開く試みとして意義深いと評価した。また、王氏が魯迅研究を日本語で、日本研究を中国語で発表するという意図的な距離の取り方をしている点を指摘した。それを通して、王氏は二つの文化体系の狭間に留まりながら、見過ごされがちな問題を考察していると述べた。
王欽氏は各討論者の指摘と質問に詳しく応答した。特に、本書で取り上げた日本社会の変容について、新自由主義の影響は日本に限らず中国を含む東アジア諸国に共通する現象であると強調した。最後に、参加者からのコメントが相次ぎ、本書をめぐる活発な議論が続いた。
報告:席子涵(EAAリサーチ・アシスタント)
写真:銭俊華(EAAリサーチ・アシスタント)

