2020年12月25日、第12回「UTokyo-PKU Joint Course」が開講された。講師は比較出版史を専門とする前島志保氏(総合文化研究科准教授)であった。
講義では、およそ100年前に、今次のコロナと同様、世界中で流行した「スペイン風邪」について、日本の新聞や雑誌といったメディアがどのように報じたかが扱われた。事前のビデオ教材では、当時の乳幼児死亡率の高さや、国民病といわれた結核、さらには花柳病のことが扱われ、スペイン風邪流行以前にも、日本は伝染病に見舞われた経験があったことが触れられた。
当日のレクチャーでは、メディアのありようについて力点が置かれ、議論が展開された。天災やスキャンダル、ゴシップを伝えるものとして起った読売やかわら版から始まり、少年雑誌や女性雑誌も含めた雑誌について言及された。
講義を受けて、4、5人のグループに分かれて、ディスカッションがなされた。メディアが感染症について、何をどのようなスタイルで報じているか。そこからどのような印象を受けるか、利点や弱点はなにか。感染の記事そのものから他の情報を得ることができるか。こうした問いをめぐって、新聞、総合雑誌、そして女性雑誌について、各5分から7分程度ディスカッションが行われた。新聞については、科学的なアドバイスが目立つという意見が出た。総合雑誌については、新聞同様、科学的で、アカデミック、国際的な比較もなされているとの指摘が挙がった。一方、女性雑誌については、エモーショナルな記事が目立つとの意見が出された。これらの議論を受けて、前島氏は、各々の印刷媒体が、異なる目的において展開していると指摘した。
次いで、当時の雑誌にかかわることとして、読者投稿や通販記事が取り上げられた。これらの記事を通して、より広い範囲での情報収集やコミュケーションを行う手立てが人々によって学ばれたと前島氏は述べた。このようなメディア体験は、戦間期の日本人にとってどのようなものであり、現代における示唆はなんであるか、という問いが投げかけられ、今回の講義は閉じられた。
今回扱われた時代から100年を隔てた現在、状況はどのように変化しただろうか。今回の講義で触れられたように、すでに100年前から、国際的な情報はメディアで取り扱われていたが、今日は、情報通信技術の発展によって、その気になれば一個人が地球の裏側の情報もすぐ得られる時代である。しかし問題は、人間の側が技術に合わせて変わったかどうかである。メディアの側は、技術革新と共にどんどん変わっていく。その変化の目覚ましさの陰で、意外と考えられていないのは、人間の側の態度かもしれない。コロナ禍のこれを機に、いろいろな場で考えていかなければ問題だろう。
報告者:高原智史(EAAリサーチ・アシスタント)