2023年11月27日(月)、東京大学東アジア藝文書院・藝文学研究会シンポジウム(2日目)が東洋文化研究所で開催された。「ともに成り行く道、ともに花する世界:東アジアから考えるHuman Co-becomingとHuman Co-flowering」という主題をめぐって、3名の研究者が近現代におけるそれぞれの事象に着目し発表を行った。
まず、汪牧耘(本ブログ報告者:EAA特任研究員)が「開発と忍びざる心:中国の「肉食大国化」にみるその相生と相克」というテーマをもとに、動物の大量屠殺・大量消費を促してきた社会的・観念的基盤を考察した。「よりよい生」を求める中で、「忍びざる心」は、一方では援助や協力を促す装置であり、他方では「犠牲」の正当化とともに封印される対象である。報告者は、後者の例として、中国建国以来の新聞を手がかりに、肉食が象徴化・道具化・科学化され、そして動物という他者が不可視化されてきた経緯を述べた上で、「構造的暴力」の中で生きることに耐えながら、異なる欲望のあり方を可能にするための藝文学の役割を示した。
続いて丁乙氏(日本学術振興会外国人特別研究員)は、「王国維『人間詞話』における人間のあり方」というテーマで発表を行った。本発表は、王国維(1877-1827)の『人間詞話』(1908-1909)という近代中国初の美学の著作に注目することによって、洋の東西を問わず、人間のあり方に対する一解答を検討した。哲学者にも文学者にもなれず、人生のライフワークが哲学と文学の間にあるという王国維の営みは、一種の感情と知力のはざまで生まれた産物ともいえる。「愛すべき」ものと「信ずべき」ものを両立させようとしてきた彼の営みは、「情」に立脚しながらも一種の普遍的な妥当性を有するような理想的な人間のあり方を提示したのではないかという結論に至った。
3つ目の発表は、崎濱紗奈氏(EAA特任助教)が沖縄学の生成と展開を手がかりに、「人はいかなるときに「ジンブン」を欲するのか:人文学の実践的意義を問う」というテーマで行われたものである。「学問か運動か」という人為的二項対立を捉え直すための一例として、崎濱氏は沖縄「研究」という沖縄を調査対象として客体化するような視点ではなく、自らの介入を許容し自覚する沖縄「学」の必要性を示した。それを踏まえて、近年「役に立たない」「金にならない」「非実用的だ」と揶揄されがちな人文学の真価を問うため、「交換価値から使用価値へ」の転換という視点を中心に話題提供を行った。
全体の質疑応答において、中島隆博氏(東洋文化研究所所長/EAA学術顧問)は「境界」というキーワードを提示しながら、2日間のシンポジウムの諸発表を総括的に俯瞰した。また、計6名の発表者の相互に対する質疑応答も多角的に行われた。本シンポジウムでは歴史から今日までの様々な実践を通して、複合危機の時代を生きるために、他者と関わりながらもとに相互変容していくことの大切さと具体的なアプローチが再確認された。本シンポジウムの各発表内容および議論の詳細に関して、EAAブックレットをご参照されたい(2024年度刊行予定)。
報告者:汪牧耘(EAA特任研究員)