2023年11月26日(日)13:00から東京大学東洋文化研究所大会議室にて、東アジア藝文書院藝文学研究会シンポジウム「ともに成り行く道、ともに花する世界:東アジアから考えるHuman Co-becomingとHuman Co-flowering」が開かれた。まずは中島隆博氏(東京大学東洋文化研究所/EAA学術顧問)より開会の辞が述べられ、来年度の国際交流も展望された。その後、柳幹康氏(東京大学東洋文化研究所)による司会のもとで諸報告が行われた。
塚本麿充氏(東京大学東洋文化研究所)による「死にのぞむ造形としての禅僧の「遺偈」:社会的・身体的な喪失といのちのかたち」は、禅僧の遺偈を素材とし、東アジアにおける「死」を前提とする「書」を論じた。無準師範と清拙正澄の「遺偈」を中心に分析を行い、テクストの内容のみならず、その「かたち」こそが思想を伝達する上で重要だと主張した。
松下道信氏(皇學館大学)による「頓悟と金丹:禅宗・全真教・内丹道の目指すところ」は、全真教の南宗張伯端以下の内丹道と、北宗王重陽以下の牧牛図頌・牧馬図頌を素材に、人は悟りの後、教導ではない形で、人々とどう交わるかについて彼らがどう考えていたかを検討した。
柳氏による「禅の悟りとその先:ともになりゆく道」は、禅宗における「自利」を「自身の悟り」、「利他」を「ともになる」に置き換え、Human Co-becomingとHuman Co-floweringについて構想した。智慧(自利)と慈悲(利他)の関係に対する大慧と白隠の理解の相違を考察しつつ、いずれも自利と利他が緊密に結びつき、「自他ともに仏となる」点で同じであると主張した。
田中有紀氏(東京大学東洋文化研究所)による「人となる第一歩としての郷党:孔子のふるまいの美学」は、「礼」とは何かを問い、欲望と利他の問題を論じた。『論語』の郷党編を中心に分析し、孔子のふるまいは彼の「美学」であると同時に、様々な人間同士の関わり合いにみえるふるまいは、礼の本質であると結論づけた。
東アジア前近代の仏教、道教、儒教を切り口として、人間のありかたをめぐって解釈を提示する試み。これはシンポジウム一日目のラインナップといえるのだろう。続く二日目は、近現代社会の政治社会と関わる諸問題からシンポジウムのテーマにアプローチする。
報告者:黄霄龍(EAA特任研究員)