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2023.05.01

【報告】第9回藝文学研究会

2023330日、第9回目となる藝文学研究会が東洋文化研究所にて開催された。田中有紀氏(東洋文化研究所)が、「孔子と時——『做人第一步』としての郷党」と題して発表を行った。

8回以降の藝文学研究会では、来る11月に開催予定のシンポジウムに向けて、参加メンバーらが自らの構想について各月の研究会で発表を行っている。シンポジウムのテーマについては、メンバー間で協議した上で、中島隆博氏(東洋文化研究所所長)が提唱してきた概念である“Human Co-becoming”(人間は、Human beingとして各々が独立してすでに完成されているのではなく、他者とともに生成変化していく存在である)を一つの核として据えることにした。前回は柳幹康氏が「禅の悟りとその先——ともになりゆく道」というタイトルで発表を行ったので、併せて参照されたい。

  

 

今回の発表で田中氏は、孔子が理想とした「郷党」というローカルな場で、いかなる振る舞いを理想としてきたのかについて、複数のテクストに則しながら、従来の完成された孔子像とはいささか異なる姿——郷党でともに暮らす人々やそこで起こる出来事に呼応しながら、彼が「孔子」という存在に成り行く姿——を捉えた。田中氏によれば、「郷党」が重要であるのは、それがプライベートな世界(家)とパブリックな世界(国)との間に属する場であるためである。出来事が生成するあり様・場を共有しながら、それに対して適切に呼応し、互いが互いに影響を与え合い、常に生成変化していくことが可能である場、それが「郷党」である。

ここにおいて「礼」とは、単に形式化された感情の在り方ではなく、一瞬一瞬、他者(それは決して「人」であるとは限らず、「モノ」も含まれるだろう)や外部から与えられる刺激に対して、慎重に周囲を観察した上で返される反応の形である。中島氏が述べたように、それは「受動的である」とも「能動的である」とも、はたまた「中動態的である」とも判別がつかぬような、出来事への関与の仕方である。儒教において理想的な存在であるとされる「聖人」も、こうした見方から出発してみると、完成された理想像というよりは、常に生成変化していく中で瞬間的に見出される存在であるのかもしれない。

「郷党」のイメージとして田中氏は、山泰幸氏(関西学院大学)が深い縁を繋いできた徳島県東みよし町のことに言及した。張政遠氏が主宰する「民俗学×哲学研究会」から広がったこの縁が、藝文学研究会にも波及し、互いが影響を受け合う妙味を、メンバー皆が今、体感しつつある。

 

報告者:崎濱紗奈(EAA特任助教)