2024年9月21日、「おおくすセミナー」(第25回藝文学研究会)が徳島県三好郡東みよし町の「おおくすハウス」にて開催された。
今回、EAAからセミナーに参加したのは、田中有紀氏(東洋文化研究所)、柳幹康氏(東洋文化研究所)、および本ブログ報告者である伊丹(EAA特任研究員)の3名である。徳島空港に到着後、三好郡東みよし町へと向かい、山泰幸氏(関西学院大学)と島尾明良氏(東みよし町文化財保護審議会・東みよし町歴史民俗資料館運営委員会委員)から町の歴史や民俗、そしてEAAとの交流についての説明を受け、東みよし町の風景を楽しみながら理解を深めた。
その後、おおくすハウスに移動し、セミナーの準備を開始した。今回の発表は伊丹による「病とは何か――古代中国と日本における「病、膏肓に入る」の話を読む」というテーマで行われ、司会は田中氏が務めた。最後のコメンテーターは山氏と柳氏が担当した。セミナーはZoom併用のハイブリッド形式で実施され、関西学院大学、横浜国立大学、京都大学防災研究所の先生方をはじめ、当日参加者は20名以上となった。
「病とは何か」という問いは非常に興味深く、2020年に新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が世界中に蔓延したことで、その問いは改めて私たちに突きつけられた。多くの人々が突然の病に対して不安を感じ、その正体や原因について思索を巡らせた。実は人類の歴史には、さまざまな病に関する記録や語りが存在しており、本セミナーでは特に古代中国と日本における「病、膏肓に入る」という諺・故事成語を取り上げ、病の描写やその正体に焦点を当てた。
「病、膏肓に入る」という言葉は、『日本国語大辞典』によると、(1)不治の病気にかかる。また、病気が重くなって治る見込みがなくなる。(2)ある物事に極端に熱中して手のつけられないほどになる、ということを意味する。この諺は『春秋左氏伝』成公十年の故事に由来し、中国春秋時代の晋侯が病に倒れた際、名医を呼ぶもその病が「肓の上、膏の下」に入り、治療不可能と診断されたエピソードから生まれた。
古代中国では、他にも『捜神記』の敦煌本などに類似した話が見られ、「病鬼」や「二童子」として病が具象化される描写が広く民間で受け入れられていた。同様の話は日本でも早くから伝わり、『万葉集』や『今昔物語集』などにその記録が残っている。特に『今昔物語集』巻十「震旦附国史」第二十三話「病成人形、医師聞其言治病語」では、「病、膏肓に入る」の話が詳述され、病が二人の童子として現れるという中国の伝承と、鬼病としての描写が結びついている。こうした話は、後世の仏教を広めるための通俗書物にも取り上げられ、日本では「病、膏肓に入る」病が子どもとして現れ、その正体は鬼とみなされるようになった。
質疑応答では、山氏が民俗学的観点から、医者とシャーマンの関係や夢によって伝えられる情報、童子や子どもの役割について重要な指摘を行った。柳氏は『今昔物語集』前半の話を「諦めの物語」と捉え、後半の話を「科学の勝利」として分析し、病の受容と治療に対する人々の心の在り方について、仏教的な観点からコメントした。
今回のセミナーでは、「病、膏肓に入る」という話を通じて、古代中国と日本における病に対する認識を考察した。人々が未知の病に直面した時、歴史を通じて常にその正体を探り、理解しようとしてきたことが浮き彫りになった。たとえば、コロナウイルスの流行初期にも、多くの不安や憶測が飛び交ったが、これも病とは何かという根源的な問いに対する人類共通の探求心の表れであろう。このような問いは、現代においても重要であり、終末期医療や死生観に通じるものがあると考えられる。
二日目には、東みよし町にあるカフェ「パパラギ」にて、哲学カフェが開催された。テーマは「執着」であった。一日目の参加者に加え、地元の方々も多数参加し、賑やかな会となった。マイクを回しながら、それぞれが「執着」についての考えを共有し、執着とは何か、それは果たして良いものなのか、悪いものなのかといった問いについて議論が交わされた。日常の些細な出来事や個人的な感想、経験などをシェアすることで、参加者は「執着」についての理解を深め、同時に活発な意見交換が行われた。哲学カフェを通じて、地域住民との新たなつながりも生まれ、非常に有意義な時間となった。その後、東京へと帰路に就いた。
最後に、今回のセミナーが開催されたおおくすハウスのそばには、千年の歴史を誇るおおくすが立っている。この大樹のように、長く継承されてきた知恵や文化の蓄積に感謝しつつ、今後もこうした探求が続くことを願っている。
報告者:伊丹(EAA特任研究員)