2024年5月15日、東洋文化研究所およびオンライン(Zoom)にて、第20回藝文学研究会が開催された。今回は上原究一氏(東京大学東洋文化研究所)から「誰が呂布を最強にしたのか:古典文学におけるキャラクターと「作者」たち」というタイトルで発表をいただいた。
現代日本のサブカルチャーでは、呂布は三国志最強はもとより、人類史上最強級の武将として当たり前のように扱われている。しかし、『三国志演義』の通行本(毛宗崗本系統)における描写を確認すると、呂布が張飛・関羽を明確に突き放してずば抜けた最強の武将だという描き方はされていない。また、正史『三国志』でも呂布だけが突出している描写にはなっていない。そのような呂布のイメージは、吉川英治『三国志』の影響が決定的だと、これまで、竹内真彦氏や上永哲也氏によって指摘されている。
上原氏は、竹内氏や上永氏の説を再検討しつつ、次のように呂布のイメージの形成を検討した。
1980年代までの有名な漫画作品には、吉川英治のように劉備・関羽・張飛を三人同時に相手してなおも呂布には余裕があるという描き方をしているものは、意外なことに見当たらない。1990年代に入るとそのような描写をする漫画も現れる。一方、1980年代後半に数多く出された三国志もののゲームでは登場人物の武力や知力といった各能力が数字化して示されているが、呂布の武力が張飛や関羽に差を付けて最高値に設定されるのが常であった。それはおそらく吉川英治の影響を強く受けてのことだったであろうが、こうしたゲームでの扱いが、1990年代以降のサブカルチャーで呂布がずば抜けた最強だというイメージの定着に大きく寄与したと推測される。
一方、毛宗崗本の源流を辿って、明代に出版された諸版本における虎牢関の描写にフォーカスすると、二十四巻本系の版本では他の系統に比べて呂布の張飛に対する優位性がやや強調されていることが分かる。吉川英治が直接参考にした江戸時代の翻訳『通俗三国志』の底本は、毛宗崗本ではなく、この系統に属するものであった。つまり、吉川英治はその描写を引き継ぎつつ、さらに自分のアレンジを入れて、呂布の強さをより一層強調していたのである。さらに言えば、『三国志演義』はどの系統の版本でも「三戦呂布」の直後に張飛が改めて一人で呂布を退けるという「単戦呂布」の場面を設けなかったために、その場面がある元代や清代の作品では張飛の方が呂布よりも強いという印象を与える虎牢関の戦いが、逆に呂布が張飛・関羽より強いという印象を与えるものになっている。結局一体誰が呂布を最強にしたのかというと、特定の誰かということは難しく、強いて言えば歴代の改訂者の誰もが関わっている、という。物語は絶えずイメージが更新され、「成長」し続けているからであると結論付けられた。
質疑応答では、日本と中国における三国志の楽しみの違いや、明末清初における演劇と小説の楽しまれ方、江戸時代における『三国志演義』の流布と受容をめぐって活発な議論が行われた。
報告者:黄霄龍(EAA特任研究員)