2023年12月13日、東洋文化研究所およびオンライン(Zoom)にて、第16回藝文学研究会が開催された。今回は具裕珍氏(EAA特任准教授)をお招きし、「日本の外国人政策について:Human co-floweringを望みながら」というタイトルでご発表頂いた。
日本社会における保守市民社会というテーマでご研究を進めてこられた具氏が今回取り上げたのは、1990年以降の日本の外国人政策というトピックである。国内人口が減少する中、外国人労働力を頼りにしてきた日本政府であるが、そこには「政策哲学」と言えるような一貫した理念が存在してきたとは、決して言い難い。日本の政治・社会・経済的事情に沿うように都合よく外国人を受け入れたり、排除したりするのではない形で、彼ら・彼女らと「共生」することはいかにして可能だろうか。この問いに対し、中島隆博氏がかねてより提唱してきた新しい「共生」概念としてのHuman Co-becoming(共に生成変化する存在)およびHuman Co-flowering(共に「花する」(※哲学者・井筒俊彦による表現)存在)が有効な参照軸となるのではないか、とオーディエンスに対して具氏は投げかけた。
ディスカッションの中でとりわけ論点として浮上したのは、2018年の出入国管理及び難民認定法(いわゆる入管法)改正である。当時の安倍政権は法務省の外局として「出入国在留管理庁」を新設し、特定技能1号、特定技能2号という新たな在留資格を定めたが、このうち特定技能2号は、事実上定住を認めるものとなっている。つまり、この法改正によって事実上の「移民政策」が打ち出されたわけであるが、政権はこれを「移民政策」としては位置付けていないという、現状と(政府による)言説の不一致が生じているのが、現在の日本社会である。
この不一致から生じるのは、彼ら・彼女らを日本の市民社会に包摂するための具体的な政策や議論は進められないまま、単なる労働力=「人材」として市場にカウントするという事態である。こうした「包摂的排除」(イタリアの哲学者G.アガンベンによる概念)とも言うべき状況を覆い隠すために、本来は理想的な社会のあり方を定義するはずの「共生」や「多文化社会」という表現が、都合よく利用されている感さえある。状況を打開・前進させるためには、国民概念の再考が必要であろう。「血」によって強く定義される「日本国民」という概念では現状に太刀打ちできないことは兼ねてより指摘されてきたが、その切迫性はますます高まっていると言えよう。これに関して、中島氏は中国哲学における「正名」(名を正す)という概念に触れた。
私たちが今取り組むべきは、言説を単に現状合わせることではなく、反対に現状からかけ離れた理念を一人歩きさせることでもなく、適切な形で双方を撚(よ)り合わせるようにして、新たな概念(あるいは、哲学)を創出する営みであるだろう。そのとき想起されるべきは、かつて日本国民自身が安価な労働力として大量に海外に吐出されたということ、そして、内地の貧村出身者や朝鮮半島や台湾といった植民地出身者の低廉な労働力によって帝国日本を維持してきたという、二種類の記憶だ。これらの記憶と現在の状況を連続的に思考することによって、日本社会に根を張った市民概念(citizenship)に基づく新たな国民概念を創出することが初めて可能となるだろう。その地道な取り組みは、私たちの身の回りから小さな議論を積み重ねることから始まる。
報告者:崎濱紗奈(EAA特任助教)