2022年9月8日(火)15:00より、第2回「部屋と空間プロジェクト」 研究会が行われた。今回は田中有紀(東洋文化研究所)が“What is a common space? :Review of Tokyo Vernacular: Common Spaces, Local Histories, Found Objects by Jordan Sand”として報告を行った。
「部屋と空間プロジェクト」研究会はこれまで、大正時代の文化アパートメント構想、イギリスの住宅と建築の歴史、台湾のアパートなど、さまざまな部屋や空間について考察してきた。研究会を重ねてわかったことは、私たちはヴァナキュラーな空間に導かれ、そこに住み、さらには私たち自身がその空間に新たなヴァナキュラーな意味を与えていることである。Tokyo Vernacular の著者Jordan Sandは、あらゆる都市にそれぞれのヴァナキュラーがあると述べた。彼によれば、ヴァナキュラーとは、ローカルな居住の歴史によって形成された形・空間・感覚の言語を意味する(Tokyo Vernacular, Univ of California Pr, 2013, p.2)
私たちが、居心地の悪い新しい「空間」に慣れるにはどうすればよいだろうか。パンデミック下で新しい大学に移動した私にとって、これは大きな問題であった。本書から学んだことは、私たちが東京という都市、あるいはそれよりも小さな空間を1つのコミュニティとみなし愛着を持つためには、さまざまなメカニズムが必要だということである。このメカニズムは、建築家や都市計画者が完全に予測できるものでない。東京のヴァナキュラーな文脈の中で生きる私たちが、東京を再び「私たちのもの」だと考えられるようになるためにはどうしたらよいだろうか。この問題を考えることで、私たちが何かを所有し、愛着を持つとはどういうことかについても、思索することができよう。たとえそれが単なる「共同幻想」であっても、私たちがさまざまな場所で共有する空気の範囲を徐々に広げていけば、この問題を解決する手がかりになるかもしれない。
本書の内容を簡単にまとめよう。20世紀の最後の数十年は、パブリックヒストリーと保存運動が世界的に広がっていた時期である。東京はこの動きに遅れをとり、表面上は保存すべき資料がほとんど存在していなかった。それにもかかわらず1970~1980 年代には、まちづくりの活動家・学者・建築家・芸術家・作家たちが、東京の過去の痕跡を記録し保存し始めたのである。東京に住む人々は新しいレンズを通して自分たちの街を見るようになり、彼らが発見したものを調査し、保存し、言祝ぐようになった。保存を行う者たちとそれを応援する人々は、ヴァナキュラーな東京を受け入れ、壮大なスケールと抽象的な象徴性を有するモニュメンタルなものを拒絶した。ナショナルな公衆という政治の代わりに、公的な認可なしに、都市の住民によって主張されるコモンズを理想化したのである。
本書は、1960 年代以降の東京のヴァナキュラーな過去を動員するための4つの場、すなわち、公共の広場・まち・通り・博物館に注目する。第1章では、1969年の新宿駅西口地下広場からのフォークゲリラの追放について述べ、第2章では、「下町」である「谷根千」 における歴史意識の発展と保存活動について述べる。第3章では、路上観察学会の活動について取り上げ、第4章では、1980 年代に建設された江戸東京博物館や、その他の日常生活についての展示を行う博物館について述べる。これら4つの場は、都市の財産の問題と、住民がそれに対して行う主張の根拠に関連するものである。公共の広場とコモンズの理想の歴史は、都市の住民が、現代の所有制度の空間的、法的な境界に挑戦しようとしてきたことを明らかにする。
報告の後に続く質疑応答では、江戸東京博物館の展示、「かいわい」という概念、谷根千におけるコミュニティの閉鎖性、communal spaceとcommon space あるいはpublic spaceの違いについて話し合った。本書が描き出す、経験主義を中心とした「理論」なき公共空間から、何を学べるのだろうか。Common spaceとしての「東京大学」とは何であろうか。大学の役割を広場、あるいは「かいわい」と捉えることができる可能性について考えてみるのも良いかもしれない。また、大学や「書院」が、東京という都市から私たちのコミュニティを取り戻すための有効な手段になる可能性についても考えていきたい。
「かいわい」という概念が私たち独自のものであり、東京には独自のヴァナキュラーがあるとしても、私たちは別のヴァナキュラーを想像することができる。そして、その想像力を働かせ、世界中を覆う屋根をゆるやかに形成することもできるのではないだろうか。
報告者:田中有紀(東洋文化研究所)