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2022.03.25

文運日新 06: 離任にあたって――宇野瑞木さん

 EAAは不思議な場所である。EAAが始動した2019年春、三年間の研究計画書を提出した時には、自身のフィールドである東アジアの説話や古典文学世界における自然表象の問題について書いた気がする。しかし、その後の三年間は、それまで触れたこともなかった分野へ、まったく予測もつかない方向へと突き動かされるように展開していった。

 それは、EAAが出会いと機会に恵まれた場所で、しかもそれによって自身を変容させていくことが目指された場所であったからだと思う。それまでの自身のカードになかったものにもかかわらず、いくつもの偶然の重なりによって、気づけば「一高プロジェクト」や「石牟礼道子を読む会」という不思議な縁へと引き込まれていった。

 しかし、いま振り返ってみると、それは確かに自身が望んだことでもあったと感じている。博士論文では、「孝」という中国からの思想の表象の受容の問題を扱ったが、前近代まで書いて力尽きた。その後、ある先生から、前近代と近現代のはざまにこそ何が起きたか知りたい、と言われた。私も、全くその通りであり、そこが肝であると思っていたのだが、博論の時点で、そこを書ける力量がないこともよく自覚していた。たとえ勉強をして知識を仕入れたとしても、取ってつけたようにしか書けなかったに違いない。

そこに、未整理状態の戦時中の資料群「藤木文書」と出会った。資料好きの血が騒いだということもあるが、あまりにも専門とする時代が異なるとはいえ、だからこそチャンスであるとも感じたのも事実である。つまり、その未だ概念化・言語化されていない生の資料に触れることから、拙い知識ではあっても、近現代の歴史を直に考えていくことができるのではないか、と直感したのである。そうした意味で、「藤木文書」は、私にとって魅力的であった。

無論、一高資料から自身の研究テーマにすぐにつなげて「孝」という概念を抽出して論文にまとめていくこともできたかもしれない。しかし、EAAでは、そこからは距離を取ったところでやってみたかった。長年、なんでも「孝」に引き付けて考えていく癖がついてしまっていたから、敢えてそこを離れて、まずは全体を捉えることで、広く勉強したかった。このような思いは、「藤木文書アーカイヴ」プロジェクトという形で叶えていただいた。様々な専門性をもつ若い研究者たちが集まって、留学生の手紙など具体的なモノ自体から、当時の人の気配や思いや関係性を感じ取りつつ謎解きをするように複雑な歴史の過程を考えることのできる得難い場となった。中国から日本への思想文化の受容ばかりを扱ってきた自身にとって、清末から始まり戦中戦後に終焉を迎えた一高における中国人留学生の歴史に触れられたことは、前近代と近代のはざまの複雑な諸現象を考える上での小さな足掛かりを得ることにつながった。

また文書の持ち主であった故藤木邦彦のご子息や一高の卒業生、文書の生徒名簿の中に名前が出てくる特設高等科生に、肉声で当時のことを伺い、書簡でやり取りすることができた。古典文学研究において、そこに名前が出てくる人にインタビューすることは勿論不可能であり、それができること自体、新鮮な驚きであり幸甚な出来事に思われた。

一方、天命を待つばかりだとおっしゃる九十歳を超えた方々から、人生についての語りを繰り返し伺う中で、改めて、石牟礼道子という人がおこなった「(フィクションとしての)聞き書き」という所業がいかに特異なものであったか、ということも思い知った。「聞き書き」は「フィクション」なのだとも、「だってそんな風に聞こえたんだもの」とも語る石牟礼の凄みは、「文学とは何か」という問いを根底から揺さぶる。説話文学という口承と書承のはざまを扱う研究者として、やはり石牟礼という存在はその間にある秘密の核を握っているように感じられる。

 

 私はEAAという人生における不思議で稀有な時間をいただいた。そこは研究や教育をする場所であるが、それはつまり、人やモノや状況との出会いを自身のなかに共鳴させて、変容していくための場所なのではないかと思う。そしてそれまで想像もできなかった他者へと開かれる契機を得ることではないかと思う。そこを離れることになり、これが今後どのように響いていくか、今はわからない。けれども、この場所を経由しなかったら、直線的に向かっていたであろう道筋よりも、よりふくらみのある、いくつかの可能性のなかに生きられるようになったと確信している。

 EAAから離れるにあたり、大事な瞬間や言葉をくださった一人ひとりの顔を思い浮かべているが、しかし、ここに全ての方の名をあげることはできない。いまは、EAAという場を与えてくれた縁と、私とさまざまな形で響かせ合ってくれた方々のすべてに、深く感謝の意をささげたい。そして、EAAという場所が、これからも、あらゆる人を願う姿へ変容させていってくれる、やわらかい場所であり続けるよう願っている。

 

 最後に、個人的なことで恐縮だが、この夏、わが家の庭で出会ったツチイナゴの成長と脱皮の記録とともに、本記事をしめたい。

 

初夏に庭でツチイナゴの幼虫を見つけた。初々しい柔らかそうな緑色のボディーだった。それから庭の雑草を抜かないようにした。

秋口、数日見かけないと思ったら、美しい茶色の堂々たる姿に変身していた。

成虫となったツチイナゴの傍で子供たちが見つけた見事なぬけがら。それほど変化するとは思っていなかったイナゴが、命がけの脱皮をした上で成虫になるとは知らなかった。 虫をケースで飼うことはやめた夏、このような出会いがあろうとは考えてもいなかった。夏休み明け、コロナの影響で小学校の給食時間が怖くなってしまった息子は、この成長記録の写真を貼ったスケッチブックを数か月のあいだ、お守りのように毎日学校に持っていった。いま、そのスケッチブックは家に置いてある。