私は2022年の9月に博士論文を提出し、11月から特任研究員としてEAAに着任した。この約一年間、数多くのイベントに参加し、自らもプロジェクトを立ち上げたことで、学問のあるべき姿や、社会連携・研究・教育を総合する機関での学問の可能性に関して広く考える機会に恵まれた。博論を書き終えて次の研究へと向かうにあたって、すでに自分の中でパターン化された研究のスタイルや視野から解放されるという意味で、EAAでのイベントや活動は大変よい成長の機会となった。
とりわけ「東洋美学の生成と進行」というシリーズ講演・討論を企画するなかで、先生方・先輩方から実に手厚いサポートをいただいた。今年1月から8月まで計6回を実施し、学生時代から抱えてきた問題意識、現在の美学界でほぼ空白と考えられる東洋美学の分野を、畏れ多くも真正面から取り扱った。初回は修士・博士課程の指導教員の小田部胤久先生による講演から開始した。おかげさまで多くの視聴者が集まり、順調な滑り出しとなった。続いて中国(第2回は陳望衡先生、第3回は王品先生)・アメリカ(第4回はKevin M. Smith先生)・日本(第5回は青木孝夫先生・第6回は塚本麿充先生)の先生方にご講演いただいた。先生方の胸を借りて、そもそも定義や射程が定まっていない「東洋美学」について、ディシプリンとしての哲学的美学の成立背景や、伝統的芸術論、美術史学との関係、ないし翻訳の可能性、現代アートといった角度から、その可能性やあり方を再検討できた。他大学の先生方からも励ましをいただき、連続して参加される方も多く見られた。イベントを通じて、講演者・討論者の先生方とも一層緊密な関係を結び、講演や論文執筆などにもお誘いいただいた。改めて関係者の皆様にお礼申し上げたい。
もう一つ実感したのは英語力の進歩であった。修士・博士課程では、日本語による博士論文執筆に集中するため、なるべく日本語を洗練するよう努力してきたので、英語をほとんど使っていなかった。博論執筆の最終段階ではカリフォルニア大学バークレー校への訪問やドイツでの短期調査で英語(及びドイツ語)を多用したが、学術的な発表・議論をする能力は確実にこの一年間にすさまじく上達したように感じる。トリリンガル教育・研究を目指すEAAでの英語イベントにはなるべく多く参加し、英語をめぐる学術の問題を語り合いながら、海外の研究会での英語発表を意図的にプランした。EAAに所属する若手研究者の研究を支援するという理念のおかげで、UCバークレーでのオンライン講演のほか、ドイツ(Herzog August Bibliothek Wolfenbüttel)やロッテルダム(Erasmus University Rotterdam)での対面発表が実現できた。とりわけ直近のロッテルダムでのフルペーパーの発表及び長時間の議論で、英語を自由に使えるようになったことにふと気づいた。その場には東大の哲学研究室や美学研究室の先生方もいらっしゃったので、その緊張もあっただろうが、結果的に順調に進み、別の論文執筆のご縁にも導かれた。
以上のように研究を進行させながら、研究や学問のあるべき姿やその意義について考えさせられた。まず、研究のスピードについて。私が以前より慣れ親しんだ人文社会系という伝統的な学問分野や学的環境では、基本的に文献研究が行われており、その性質のゆえか、研究成果の産出スピードは速くはなかったし、おそらく速くなりえないだろう。対照的に、EAAで目にしたのは、新たな学問を開拓するために、必然的に量的にも範囲的にも膨大かつ多様な研究と向き合わねばならず、社会連携からの要求もあるため、素早く発信している姿であった。初めは自分がそのスピードに合わせることができるのか心配していたが、一定の蓄積を持つ研究者ならば、必ず物事に対する独自の視点があり、そこから何らかの感想やコメントを述べられることに気づいた。しかし、それは本当にその発表や研究に対する理解に基づく適切なものであるのか、という別の不信も生じてきた。次第に、着任当初の自己の能力への不安から、学問のあり方についての別の問いが生まれてきた。
また痛感したのは、いわゆる研究のパフォーマンス性である。学生の時に有名な研究者の講演を聴講しにいき、失望した経験が時々あった。著作と比べ、なぜ面白くなかったのかと考えていた。だが現在の自分は、もはや一つ二つの講演で研究者の研究を評価しない。同じ分野内の学者向けの発表と、分野外の学者向けのもの、さらに一般公衆向けのものがあるからである。これらの発表に求められるものは必ずしも一致しておらず、互いに相反する部分も少なくない。人文系の研究の価値は広く発信していかなければ、一種の傲慢なエリート主義に陥りうる。しかしそればかり行えば、現在の社会ではあるいはそれだけで名声や地位を獲得することも考えられ、(学者より数的に圧倒的な)公衆に認められ、必要性があると判断されることが偏重されてしまう、というアポリアが存在するように感じ取れる。
この一年間、学問の可能性に興奮した瞬間は多かったが、他方で虚しさもしばしば感じられた。しばしば頭に浮上してきた課題は、自分がいかなる研究者になりたいのか、また現実的になれるのか、ということであった。
在任期間は短かかったが、いただいた多くの方々との繋がり、実感した学問体験はいうまでもなく今後の財産となるであろう。また私の専門分野、中国美学にとっては世界的に見てもEAAほどふさわしい場がないのではないか、と特任研究員の面接の時に申し上げたが、その気持ちは現在でも変わっていない。任期中に参加した最初の全体ミーティングでは、EAAを東洋美学研究の一つの拠点にしたいと夢を見ていると述べたが、その思いも継続している。今後とも共同研究や連携企画ができれば嬉しく、引き続きよろしくお願い申し上げたい。