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2025.03.19

修了生挨拶 第4期生 谷 栞里

修了生挨拶
(2025年2月28日開催 2024年度「東アジア教養学」修了証授与式に際して)

EAA「東アジア教養学」プログラム第4期生  谷 栞里

教養学部4年の谷栞里です。

皆さま、本日はお忙しい中お集まりいただきありがとうございます。EAA4期生としてこの場に立てましたことを大変誇りに思います。

スピーチとして何を話すか考えましたが、自分のことと、EAAへの感謝について少し話したいと思います。

私は千葉県のとある公立高校を卒業し、文科一類に入学しました。同じ年に東大に入学した高校同期のうち、文系は私一人だけでした。

かたや私が入学してはじめて接触した東大生のほとんどは、関東の中高一貫校か男子校の卒業でした。前期教養学部の間、私はずっと心のどこかで周囲に対して劣等感を感じていて、この差を埋めなければ、周りと同じにならなければいけなくて、そのために努力しなければいけないと考えていました。

入学してからは法律系のサークルに入り、1年生の5月には司法試験の塾に通い始めました。私には確かに弁護士になって人助けをしたいという想いがあったのですが、こんなに早い時期から司法試験の勉強を始めたのは、在学中に司法試験に合格することが、周囲の一員として認められる最短の方法だと思ったからです。

今から思えば、精神的にあまりにも幼稚だったのですが、12年生の時の自分は、周りが良いと思うものを良とし、周りが目指すものを目指し、逆に言えば周りが「認めるもの」の範囲の外にあるものを軽視する傾向があったと思います。法学が自分に合っていないことは、かなり早い段階から気づいていたはずなのに、法学に対して感じていた違和感にも、当時自分が所属していた場所に対して居心地の悪さを感じていたことにも蓋をして、毎日ひたすら法律の暗記作業をしていました。もちろんこのようなことが続けられるはずもなく、体調もどんどん悪化して限界を感じたため、進学選択では法学部ではなく後期教養学部に進学しました。司法試験合格という大きな目標を失って、ぼんやりとしていた時期に出会ったのが東アジア芸文書院です。

東アジア芸門書院での学びは、私の大学4年間で最もかけがえのないものであり、今の自分の大枠を作ったと言っても過言ではありません。東アジア芸文書院では、古典を学び、東アジアについて学び、ディスカッションを通じて相手の考え方を知り、中国からの学生をはじめ、専門や地域を越えた多くの人と交流し、4年次には北京大学での留学も経験しました。このように多様な人々と接して意見を交換するのは、私にとっては初めての経験でした。東アジア芸文書院はまた、自分と他者のあり方、自分と他者の意見が違っても良いのだということを初めて教えてくれた場です。

石井先生は、教養とは何かという問いをよく投げかけられます。明確な答えはそもそも存在しないと思いますが、私は、教養とはいくつものの要素から複雑に構成されるものであり、そのうちの一つは、イメージするという意味での「想像力」だと考えます。古典の著者の考えに思いを馳せる想像力、ディスカッションの相手のバッググラウンドを見つめる想像力、そしてある一つの、不変だと思われている事柄に対しても、もう一つの可能性があるのではないかと考えてみる想像力です。

自分の在り方や真価は、他者の評価によって決まるものではないこと、また同様に、他者の在り方や真価が、自分の評価によって決まるものではないこと、これは私が東京大学、そして東アジア芸文書院で学んだもっとも大きなものです。この書院で、私は先生方が期待するほど努力家でも聡明でもなかった気がしますが、私自身はとても大きなものを得ました。

これまで東アジア芸文書院での活動を支えてくださった先生方、渡辺さん、深田さんをはじめとしたスタッフの方々やRAの皆さまには深くお礼申し上げます。この先、私も越えられない壁や敵わない人に数多く出会っていくのだと思いますが、この書院で学んだことを胸に、より良い社会を構築することを目指して、自分らしく精一杯頑張ります。