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2022.07.15

【報告】「共生哲学と漢学の島:トランスカルチュラル国際会議」

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 202278日と9日に台湾の高雄にある中山大学で、「共生哲学と漢学の島:トランスカルチュラル国際会議」(共生哲學與漢學之島:跨文化國際研討會、Philosophies of Co-Becoming and the Sino-Island: A Transcultural International Conference)が開催された。この会議は昨年行われたシリーズ企画に続く大型シンポジウムだ。老荘哲学を長年にわたって研究する頼錫三さんが牽引役となって続くこの「共生の哲学」プラットフォームには、昨年のシリーズでわたしも中島さんも招かれて対話を行っている。特に中島さんが近年提唱しているHuman Co-becomingという考え方が頼さんらの共感を呼び、「共生」の英訳語として、今回から「co-becoming」が「co-existence」に代わって採用 されていることは、EAAとして誇らしい。

 この会議には台湾を代表する学者が勢ぞろいしただけでなく、海外からも著名な学者が参加した。残  念ながら海外参加者はすべてオンライン交流となったほか、リュブリャナ大学のヤナ・ロスカ(Jana Rošker)さんが欠席するなど、必ずしも理想的なかたちでの開催には至らなかったが、長引くCovidパンデミックの中で、こうして粘り強くアクチュアルな研究対話を重ねることには自ずとかけがえのない価値があるだろう。
  「共生」という語に託される意義は千差万別であるかもしれない。特に台湾という特殊な地政学的トポスにおいて、このアジェンダは東京にいて考えるのとは異質な緊張感を孕む。いくつかの発表の中には直接それに触れたものもあったし、間接的であっても、人類と万物が「共に生きる」という価値のあり方を考えるに当たっては、東アジアという磁場にあってこそ前景化せざるを得ない諸問題が重要な出発点になるだろう。またそれを出発点にすることは知的に誠実だと言えるだろう。 
 会議の詳細については多岐にわたるし、わたしも駒場での通常授業の合間をぬっての参加だったので到底網羅できないので、割愛することをご諒解願いたい。ただここで触れておきたいのは、頼さんの今後にかける希望についてだ。彼は、「共生」という漢字語を「自由」や「民主」と同じような普遍的価値にまで高めたいと言う。実際、Convivialist Manifestoのように、すでに西洋世界においても「共生」に相当する概念の価値は提唱されている。EAAにおいても今学期の学術フロンティア講義で「「共生」を問う」をテーマに掲げて取り組んできた。その中では、「共生」をただ価値として称揚するのではなく、このことばによって隠されてしまう非共生、反共生的現実を見据えることが重要であることが繰り返し強調されてきた。ダイキン工業との産学協同プロジェクトとして活動しているEAAにとって、この問題に取り組むことはなおのこと有意義であると言うべきだろう。頼さんはこの会議から生まれた「火種」が参加者各々の持ち場において「共生の思想運動」として広がっていくことを期待している。

   星星之火,可以燎原。 

運動の広がりに東京からも貢献できればそれに勝る悦びはない。 

報告者:石井剛(EAA副院長)