ゲストとして映画『カナルタ』監督である映像人類学者の太田光海氏を迎えて、2022年5月19日(木)に駒場キャンパス900番教室で行われた映画『籠城』上映会アフタートークの記録を公開いたします。
小手川:太田さんは、映像人類学をイギリスのマンチェスター大学で修めたというか学ばれて、エクアドルで撮った『カナルタ』という作品が全国で公開されています。それはなんというか、衝撃的で不思議な映画なんですけれども……要するに、人類学と映画という領域を越境するように活動されている方で、作品も、人としても非常に興味深く、今回お願いして来ていただいたという経緯になります。ではまず太田さんに、この『籠城』を観て、どのように思われたのか訊いてもよいでしょうか。
太田:お招きいただきありがとうございます。太田光海です。この作品を観るのは今日が2回目で、前に別の教室で行われた上映会ではじめて観ました。そのときもいろんなことを考えました。その場で簡単なディスカッションもしたんですけど、今日あらためて観て、またいろいろ感じるところがありました。この作品はほんとうに捉えどころがなくて、非常に、反芻するのに時間がかかる。情報量が多い。単純な、文字に起こせるような情報のほかに、感覚的な情報量もそうですし、いろんな意味で、作品を鑑賞しているあいだに身体に入ってくるものが多い印象です。それはすごい僕は好きなところで、ドキュメンタリーという一旦の形式からおそらく出発していると思うんですけれども、そこから、ある種のエッセイ・フィルム的な要素だったり、下手したらサイエンスフィクションとか……時空を超えていくような、そういう感覚があって、さまざまなセンスが、小手川監督の今まで観てきた作品で培われていたり、ご自身のタルコフスキーを中心とした今やられている研究が複雑に交叉したなかで生まれてきた作品だな、というふうに感じました。その全体を貫くものとして、ある種の狂気、クリエイティヴというか狂気というか、僕たちに挑発的に突きつけてくるような感じがしました。今日、けっこうメモとりながら観ていて、本当に時間が限られているので全部の話題を網羅できるかわからないんですけど……どうしますか、僕がこのまま喋り続けますか。
小手川:どう受け取ってもらえたのか、僕はやっぱり気になりますね。どこが狂気的だったのかとか、どこにエッセイ風な印象を得たのかとか。ジャンルも、何だろうかと言われるような作品ではあると思うんですけれど、少なくともそれをどのようにキャッチしたのかとか、太田さんの言葉で聞きたいなと思っています。
太田:うーん、どこから始めればいいのか……訊きたいことがいくつかあって、後々それに繋がってくると思うんですけれど、やっぱり今日はじめて観た方も〔同じように〕思った方が多いんじゃないかと思うんですが、リフレーンがすごい作品ですよね。たとえば、よく出てくる言葉として「正しさ」とか、「彼らは力を持っている」っていう言葉、あと「自由と責任」、そしてその「力を正しく使わなければならない」。そういう言葉が圧倒的な頻度と圧力でリフレーンしてくる。それが意図的にやっていると思うんですけど、とにかく、すごい面白いなと思うのは、僕はそのリフレーンを聞きながらいろんな感情が巡るんですね。たとえば「正しさ」っていう言葉を聞いたときに、自分はそれとどう向き合えばいいんだろう、って浮かぶんですよね。旧制第一高等学校の資料から読み解きながら、その言葉を紡いでいったと思うんですけども、その言葉がいざ資料と作品の意図とともに僕の脳に入ってきたときに、この作品の最後のほうに出てきたと思うんですが、正しさはどこにもない、みたいな言い方をされていますよね。その感覚が自分の中に入ってきたんです。正しい、正しい、って言うけど、いったいその「正しい」って何だろう、って。当時から時代が変わって、僕は現代の人間で、その生身の僕が感じざるを得ない、そういう葛藤みたいなものを意図的に突きつけられているような感じがして。
そういう感情を抱えながら、僕はヴァルター・ベンヤミンのことを考えていました。ヴァルター・ベンヤミンはユダヤ系ドイツ人の哲学者なんですけれど、その人が「歴史の概念について」というエッセイを書いていて、まあ研究もたくさんあって解釈もいろいろあって、いま端的にリフレーズできるかわからないんですけど、僕の感覚で言いますと、〔ベンヤミンは〕そのなかで歴史主義というのを批判しているわけです。歴史主義というのは、歴史の中に正しい史実があって、それは記述可能で、その蓄積のうえで今のこの状態が成り立っている、というように、歴史に現在の状態の理由を求めるものだと僕は理解しているんですが、ベンヤミンはそうではないと言う。ともすれば記述からこぼれ落ちてしまうかもしれないような、瓦礫のような過去の集積から、いま・ここにいる自分たちがアクチュアルな状態として繋がることによって歴史がその場で発生するんだ、と言うんです。そういう意図をこの映画から僕はひしひしと感じたんです。だから、ただ単に歴史をなぞっていって、それをプレゼンしていって、こういうものにした、みたいな、資料を掘り起こしました、という話ではなくて、それを、自分の映画作家としての意図を込めながら――それは小手川さんの意見というわけではなくて制作としての意図を込めて、僕らの感情の巡りを意図的に掻き乱すような、そういう設計が随所になされていたなと。まだいっぱいあるんですけど、そういうようなことを考えました。
小手川:ありがとうございます。ベンヤミンは意識していなかったです……いま整理してもらったように、言葉が多い。情報量が多い理由の一つに、言葉がすごく多くて、「正しさ」とか「理想」とかの語のほかに「言葉」というのを重視した作品ではあるんですけど……まあ資料を使っているということで、駒場博物館にはたくさん書かれた資料が残っていて、もちろん写真もあるんですけど、まあ基本的に――歴史全般というと言い過ぎかもしれないですが――一高の歴史は書かれた歴史であり、書き継がれてきた歴史なんです。そこからこぼれ落ちてしまうものは当然あるにしても、まずは読まなければいけないという態度があった。あと、この〔作品の〕舞台になっているのは、1935年9月に、駒場に一高が本郷から移転してきたというタイミングから、終戦間近の1944、1945年にしているんですけど、後が曖昧なのは1944、1945年当時の記述というのはそんなに残っていないからなんです。それまではすごいたくさんあるんですけど、終戦間近の資料というのは……もちろんその後に書かれたものはたくさんあるんですが、当時に書かれた資料はすごい少なくて。で、制作しているときにいちばん読みたかった時期でもあるんです。ただ、寮日誌、一高の生徒が書いたものも少ないし……やっぱりそこに穴が、断絶がある。〔大きな〕歴史的にも断絶があるし、一高に限って言っても断絶があるのが1944、1945年、そして1935年9月という日付だと思うんですね。
太田:1935年から1944、1945年のあいだの資料が抜けているってことですか?
小手川:いや、1944、1945年のところだけですね。終戦近くの時期だけ異様に少なく、残っていない。要するに、書かれた言葉を大切にしてきた一高の伝統を、いま読むときに、どう読むかということを問われるじゃないですか。一方で写真も残っていて、こういう人たちがこの資料を書いていたんだということは想像できる。寮委員の写真があって、個人の名前も載っていて、なるほどと思うんですけど、写真だけをじっと見ていると、書かれた言葉に受けるのとは違うイメージが浮かんでくるというか……旧制一高の生徒というのは、いまでいうと大学1、2年くらいの年齢で、まあ幅はあるんですけどだいたいそれくらいの年齢で、要するに結構若い少年、青年たち。〔作中には〕笑顔の写真もたくさん使っているんですが、一高生としての強いプライドを持って日々の生活を過ごしていたという記述とは別の、無邪気で純朴な顔も見えていて、それはどちらが正しいかというのではなくて両方とも本当であるだろうし、想像でしかないかもしれないけれど、そういう顔が見える。
だから、書かれた言葉〔を読むことと〕と、聴こえてくるだろう声を想像すること、そういう態度が資料を見ていたとき〔そして、歴史に向き合ったとき〕に問われている感覚があった、それが作品にも反映されていると思います。でも、声って残っていないわけですよ、当時の生徒たちの声は……だから、写真に見る、眼で聴かないといけない。そういう感覚が、制作初期に資料調査をしているときにあったというのが、いま太田さんの話を聞いていて思い出したことの一つですね。
太田:逆に、無邪気な笑顔とかが写っている写真を見て、すごい堅苦しい文章、資料として残っているけど、実は彼らはこんなことを言っていたんじゃないか、的なセリフを自分で紡ぎだそうというふうには考えなかったんですか?
小手川:それは、やっぱり自分としては間違っていると思ったんです。この人はこういうふうに喋っているだろうと全員にしなければならなくなるというのもあるんですが……実在の人物で、フィクションのキャラクターではないので、セリフを書いて、彼らのキャラクターを個別につくるというのは資料に対する裏切りだと思ったので、そうではない仕方で、それぞれ個人にもフォーカスが当たるようにしたかった。
太田:ありがとうございます。あの、単純に訊きたいことがちらほらあるんですけど、訊いていっていいですか。「新籠城主義」っていう言葉が途中に出てきたと思うんですよ。それで、この映画のタイトルは『籠城』じゃないですか。「新籠城主義」っていうのはどういうことだと理解してますか。
小手川:「籠城主義」自体は一高設立以来、1889年くらいからずっと伝統としてあったもので、駒場〔移転前〕、1935年以前からあったことなんですね。もう一つ、文字として出てくるものに「新向陵」があるんですが、「向陵」というのは校地が本郷キャンパスにあったときに、その地を指して「向陵」と呼ばれていたんです。移転したときに、もともと本郷にあって、培われてきたものを、新しい校地、駒場に移転してきても維持しなければならないという意識から「新向陵」や「新籠城主義」と「新」の字をつけて呼んでいた。あれは、1935年9月という断絶をうけての言葉だということです。それくらいインパクトがあったということだと思います、移転という出来事が。
太田:籠城って立て篭もるっていうイメージがあるじゃないですか。
小手川:籠城――多くの人は、学生運動のときに安田講堂に立て篭もるというようなイメージだと思うんですが、籠城主義の「籠城」はそうではなくて、キャンパスの内と外ではっきりと分ける〔という意味〕。一高というのは当時の超エリート校で、選ばれた……それこそ難しい試験を突破してきて、おそらく今の東大とも比にならないくらいのエリートだったと思うんですが、そういう自分たちのプライドのもと、外の社会と自分たちは異なり、ちゃんと教養を身につけて、立派な、知的な人間にならなければいけないだろうという意識が、籠城主義というスタイルだった、というかイズムだった。実際に立て篭ってはいるんですが、武装して立て篭もるっていうよりかは〔というのではなく〕、キャンパスと内と外とを分ける、という考え方ですね。
太田:実際のセリフ、劇中の言葉のなかで「我々は少なくとも相対ではなく絶対を把握しなければならない」という言葉が出てきて、この言葉がすごい僕には刺さったんですけど……最初に僕が言ったことに少し繋がるかもしれないんですが、今の時代って、相対ではなく絶対を把握しなければならない、って言葉を聞いたとき――むしろ、社会としては逆に行っている時代じゃないですか。どちらかというと、絶対的な真理があるというよりは、個人のそれぞれの見方があるよね、という考えが広がっていったりとか、絶対的な正しさっていうのはもちろんなくて、それぞれの生き方を見つければ良いとか、力ってものに対して忌避感があったり……どちらかといえば、そういうムードが拡がりつつある。相対的に見て、そういう時代なのかなと思うんですけど、一方でこの作品のなかに、それとは相反する強い言葉がどんどんと出てくる。
これは本当に僕の勝手な想像なんですけど、この作品って――ロラン・バルトっているじゃないですか。フランスの構造主義的記号論者がいるんですが、彼にはデノテーションとコノテーションという概念がある。つまり、明示的に示される内容か、暗示的に示される内容なのか、ということ。彼はそれを記号論的に、たとえば写真とかを用いながら論じるわけですけど、言語的なものにそれを転用したときに、コノテーションがすごく大事な作品なのかなと思ったんです。つまり、「正しさ」とか「力を持っていた」とか「自由と責任」とか、そっちは明示的な意味じゃないですか。でも、映画の面白さって、そこにもあると思うんですけど、明示的に何かを劇中で言うことによって、その裏にある意味とかも同時にさらけだす効果があるじゃないですか。そういう意図を持ちながらリフレーンを入れていったのかなと。
小手川:そう、そうだと思いますよ。これは太田監督、監督としての太田さんもそう思ってるんじゃないかと思うんですが、映画の面白さってそういうところに……映画というか音と映像を使った表現の面白いところであって……とくにこの作品は、セリフを発している人が画面に出てこないじゃないですか。たとえばドラマや劇映画で、あるキャラクターがこういう主張を、セリフを言ったとなったらその人の主張だと物語上もなるし、観ている人もそのように理解するのが一般的かと思うんですけど、そうではなくて、〔この作品の〕すべてのセリフはある特定の〔人物の主張というのではなく〕――一方ではもちろん声の主がいるだろうと想定できるし……声の出演者は7人いるんですけど、声の配置も若干ずらしたりして空間の中でどこに定位しているのかはサウンド設計で意識したとこでもあるんですが――話を戻すと、はっきりと、力を持っているとか、正しく力を使わなければならないとか、そう言ったからといって文字通りに、この人の主張はそうだというわけにはならなくて。まあ、それは映画だけではないと思いますけど、そうした発言のバックグラウンドというかね、そこに至るまでの意識の流れがあるはずじゃないですか。
資料の言葉を読むときもそうだと思いますね。書かれた言葉だからそれが正しいのだと思って読むっていうのでは浅くて……この作品には当時の資料に書かれた言葉から引用したセリフもたくさんあって、「絶対を把握しようではないか」もそうなんですが、声に出してその言葉を読んでみると、言葉を〔目で〕読むだけとは違う印象を受けるし、その言葉を声に出す人によっても印象は変わるし、一口に「言葉」といってもいろんなアプローチがありうる。今回、声は男性だけではなくて女性の方にもご出演いただいたんです。一高は男子校で、女人禁制だったんですが、当然いまの一高研究者で女性の方はいるし、女性の声で当時の言葉を読むということはできる、そういう可能性に言葉は開かれている。これが言葉のコノテーションにひっかかるのか自信はないですけど……意味の次元でもそうだし、言葉の響きの次元でも考えていたことです。
太田さんも『カナルタ』でサウンドを重視していた、そうお聞きしたんですけど、あの作品も語りで進んでいく――もちろん映像も、アマゾンのジャングル、木々の中を進んでいくというのと現地での生活というのと、そこに住んでいる方たちの姿を映しているんですが、それとは別で語りを重視していますよね。
太田:そうですね、語りは重視しています。僕の映画をご覧になっていない方には申し訳ないんですが、ちょっと内容に入ると……僕の映画は確かに登場人物が語っているシーン――実際にカメラの前で語っているシーン、もしくはボイスオーバーみたいなかたちで彼らの語りが入っているシーンというのがあるんですけど、どちらかというと僕が重視しているのは声なんです。
どういう意味かというと、声自体が持っているバイブレーションというか……声が作品を通して自分のなかに入ってきたときに感じる意味以外のもの、トーンだったり間だったり、発するときの顔の表情とか、あらゆる要素が渾然一体となって存在している状態としての声を僕も重視している。僕はアマゾンの熱帯雨林で先住民の人たちと一年間いっしょに暮らして、それで彼らについてのドキュメンタリーを撮ったんです。この映画とも通じるかもしれないんですけど、彼らの言葉ってダイレクトに日本語とか、あるいは僕が学んでいる英語とかに翻訳不可能なんですよ。だから、意味の完全性を彼らの言葉に求めることや、あるいは再構築しようと自分が頑張ることに限界を感じて、そのときに僕が重視したのが存在としての声。たぶんこの映画も、そこの葛藤はあったんじゃないかなと思うんです。当時の資料に書かれていたもので、正直どう解釈したらいいか難しいなとか、そのまま字面で伝えた場合に、誤解とは言わないけれど、意味が固まってしまうような、そこに生き生きとした感覚を吹き込めないような可能性があると思う。
小手川:そうですね。さっきも太田さんが言っていた通り、意味が強い言葉だと思うんです。たとえば、ありえた可能性として、写真に写っている特定の人に限定して、その人が話しているようにセリフをつくってみようとすると、おそらくダイレクトに言葉の意味を伝えるように映画がつくられてしまう。最初に太田さんが指摘した反復、リフレーンが多いのは、言葉の意味が響きのほうに崩壊していくためというか……反復することで、しかも複数の話者によって語られていくことで、特定の何かを主張しているというよりも――いや、意味をまったく無視しているわけではないんですが――〔言葉を〕音や響きの次元にもっていく。そうすることで、メッセージではない仕方で、セリフが、声が入ってくる。
あと、「しなければならない」というのもリフレーンされている大きな要素。「である」というのではなく、規範的・倫理的な……事実を記述しているわけではなく、そうしていこうという宣言でもあり、規範的な意識でもあり……そういう言葉をリフレーンさせているというのは、移転したということとかかわっている。「新籠城主義」とか「新向陵」とか、「新天地に如何に移植すべきか」とか、そういう強い意識が働いていた十年というのと関係している。駒場はいまでこそそれなりに栄えてますけど、もともと駒場は馬が走っていたような農地で、〔一高が〕移転する前は帝大の農学部の校地だったんです。そこと交換して、こっちに来たんです。だから、原っぱというか、本郷の街並みからみると何もないという感じのところで、どうやって本郷にあったものを駒場に移していこうかという強迫的な意識があっただろうと想像される。
太田:当時の一高を取り巻く心理的な感覚、それを描くというのではなくて自分自身に憑依させて作品に魂を吹き込むというようなイメージですか。
小手川:そうですね、当時の資料の言葉を読むとか……あと、共同脚本で、一高を長く研究されている高原智史さんと物語を一緒につくっていこうとしたんですけど、僕自身はこの作品をつくるまで一高をほぼ知らなかったので、実際に一高の研究をしている人の話を聞きたいと思った。それで高原さんの話をずっと聞いていたんです。資料の言葉や、現代で一高を研究している人の言葉とかを聞く。一高について語っている声を聞いて、それを表現に落とし込むという制作の体制だったと思います。
あと、トラウマと断絶と反復というのは結びついているもので――フロイトの戦争神経症についての〔観察があって〕……それも、戦争という出来事、トラウマ的な出来事があって、それがフラッシュバックしてしまう、それについての語りがとめどなく溢れてくるような症状があり、さらには強迫神経症とか、そういう分析の概念があって……僕が、いま作品に映ったような一高生の年齢のときに勉強して衝撃をうけた概念だったりして、そういうのも〔『籠城』に〕関係していると思いますね。そういう発想が……〔移転後という〕その時期に限定して、声をリフレーンさせて、なんとかしなければならないけれど、しかし戦争という断絶の経験があってそれがバサッと切られる、そして銀杏並木へ――と、そういう感じの映画だなと、まあ他人事のように。自分が監督しましたけど、高原さんだけでなく多くの人の力を得てつくったものなので、できあがってしまうと、こういうふうに自分はつくりたかったのかなとか、自分の無意識が見えてくるみたいなことを、今日ひさびさに見返して思いました。
太田:めちゃくちゃ面白いっすね。