2024年4月26日、第7回となる「開発と文学」研究会を開催した。今回は、潘在泳氏(高麗大学)をお招きし、金景彩氏(慶應義塾大学)と本記事報告者の汪牧耘(EAA特任助教)の3名で座談会を行った。
潘氏は、韓国戦後文学・思想史を専門としており、今回の発表は「『教養小説』の概念から見た『開発と文学』」というテーマで行われた。朝鮮戦争の文学的再現に関心を持つ潘氏は、韓国における朝鮮戦争を語る主な慣習や規則とは何か、またそれらは、そこから新たに定着していった冷戦的な認識論とどのように結び付いているのかを考えてきた。潘氏はその中でも、共産主義者を描写する一つのステレオタイプに関心を持っている。その特徴は、共産主義者を傲慢な「青年・少年」として描き出すことで、朝鮮植民地時代から営まれてきた共産主義運動の歴史を見えにくくする、いってみれば他者化することである。こうした「青年」を対象とする冷戦は、結果的に「若さを馴致せしめようとする物語の誕生」、そして社会主義からの転向を個人的な成長として物語る「教養小説」の登場をもたらした。
「教養小説」とは、ドイツから生まれた一つの近代小説のジャンルであることはよく知られているが、それは「モダニティの象徴的な形式として『若さ』の再現」として広く捉えることも可能である。すなわち、社会の目まぐるしい変化から生まれた成長と彷徨いの物語である。主人公は頑固なアイデンティティを持たない、未決定の存在であり、社会的規範の受容・妥協・抵抗の間で悩み続けるような、終わらない若さの時間を過ごす者である。そういう意味で、教養小説というジャンルとその主人公としての「青年」は、「開発・発展」といった今日の課題とは決して無関係なものではなく、むしろ問題意識としての深い繋がりがある。
一方、前述した1950年代に現れた韓国の教養小説における「若さ」は、まったく異なる文脈のなかで現れている。つまり、「若さ」が纏っている流動性・未決定性は、進歩・発展を意味するより、目の前に対峙している相手の陣営への「越境」を意味している。言い換えれば、青年は「いつでも敵になれる人間」という流動的な存在性を連想させる。それがゆえに「青年」は極めて取り扱いにくかった戦後の表象となっている。
その形成は、韓国の冷戦期から作られた開発・発展の経緯から読み解くことができよう。韓国では、冷戦と「開発・発展」と緊密に絡んで行った過程について、多くの研究がなされてきた。1960年代以降、韓国は近代化や経済発展に本格的に取り組むようになり、アメリカ型や西ヨーロッパ型の社会が提示した進化論的な時間の格差への違和感や論争が、「近代化論」の浸透とともに沈静化した。だが、「四月革命」で噴出した野党側の知識人、そして大学生を中心に民主主義への要求が依然として強く、1960年代には「五・一六」直後の二年ほどを除けば、ほぼ反政府デモが絶えなかった。要するに、韓国の現代史において60年代というのは、進歩・発展・開発・成長の方向性をめぐって論争的でダイナミックな局面が始まった時期だと言える。このようなモダニティ経験の本格化とともに歴史的なジャンルとしての「教養小説」も再び登場したという。
潘氏が提起した問題意識と、本研究会の主題である「開発と文学」との関連は、以下のように考えられる。広義の開発は「モダニティの経験」そのものを指しており、自然を体系的に利用しオーガナイズして、より良き生の条件を作り出すという考え方が普遍化された後の世界を生きる感覚である。こうした「開発」の意味に従えば、「開発と文学」はごく幅の広いテーマで、ひいては「反開発」ということさえ「開発」への一つの対応であるという意味で、「開発経験」の一表現である。例えば、韓国・朝鮮文学史の中で近代文学の嚆矢とされる『無情』(1917、李光洙)という作品も、開発・反開発の総体からなる「開発経験」の再現として読むことができる。
他方で、狭義の開発とは、(ある地域・ある期間の)ある特定の開発プロジェクトに関わって行われた一連の開発行為と言える。1970年前後のソウルの都市開発はその一例である。こうした事例について、ある種のケーススタディとして「開発」を記述した「文学」は、「開発」という概念とその実態の再考を促すきっかけを示唆し得るだろう。つまり、レポート・論文・政策文書といった形式のテクストにおいては表現され難い開発の裏側の、内密で多様な経験が、文学作品においては書き込まれ得るに違いない。ただし、具体的な開発の経験という領域に入ることになると、文学はほとんど開発の負の側面や開発から疎外された人々について語る傾向がある。それは、開発には良い側面もあることを知らないからではなくて、そういう通念では見当たらない問題を可視化することこそが文学の使命だと考えられてきたからだと考える。
1940年代に生まれた作家による作品は、「開発」について再考を促すものが多かった。例えば、『こびとが打ち上げた小さなボール』(趙世熙)、『うちの村』(李文求)などが挙げられる。潘氏はなかでも、文学者でありながら運動家である朴泰洵(1942-2019)を取り上げた。彼の初期作である「離陸」(1966)は、ソウルを端々と歩き回る、彷徨う青年の物語である。Walt W.Rostowが韓国を訪れた際に、韓国はすでに「離陸」の段階に入ったといったことに因んで、「離陸」の爽やかさとジメジメした地面の対照的なイメージを手際よく活用した作品である。「四・一九」直後の『広場』(1960、崔仁勳)の時代──南北のイデオロギー対立を初めて主題にした作品──が終り、若者たちは、今や軌道に乗った開発主義社会が要求する社会的な役割を受け入れなければならない時代を迎えていた。この作品は、その若者たちの内面的な悩みを物語っている。要するに、開発主義社会の裏側を告発する社会運動家としてのアイデンティティが出来上がる前の探索、彷徨いの過程が描かれているわけである。そこから、開発の時代の強制的な論理に一方的に吸い込まれないようにもがく青年の自己開発の同定について、何か論じることもできる。言い換えれば、それは「広義の開発」と「狭義の開発」の両方が重なっている示唆を作り出すこともできるのではないかと考える。朴泰洵は目まぐるしく開発されていくソウルに魅力を感じながらも同時に躊躇している。彼は開発がもたらした暗い面を告発しながらも決してソウルから離れることはなかった。それは彼が開発されていく都市のカオスそのものを愛していたからではないかと、潘氏は指摘した。
質疑応答では、まず汪から開発学における多元的な開発観について言及があり、今回の報告が抽象と具体、内的発生と外的介入という座標軸から「開発」を捉え直すことに示唆に富むと感想を述べた。一方で金氏は、文学作品における開発の表象については、「見逃された経験」や「多様な開発経験」という点で意義があるものの、疎外された人々の描写は文学の本質的な役割でもあり、それ以外の新しい視点が必要だと指摘した。潘氏が報告の中で分析した作品には、国家による開発と個人の自己開発という「二重の開発」の緊張関係が浮き彫りになっており、それは個人の内面を描き出す文学の可能性──私小説的な内面描写とは異なる──を考える上でも重要だと指摘した。
今回の議論を通して、国家・個人が抱えているそれぞれの開発課題の異質性・非同時性・多変性を改めて確認できた。文学作品は、この「二重の開発」の緊張関係から、現代社会の課題を異なる視座で捉え返すことができる可能性を秘めている。特に注目すべきは、従来の「有力者/無力者」「被害者/加害者」といった二元論を超え、「青年・若さ」という未決定な存在に着目した点である。「開発の結果による開発の初心の変質/若者の成長による若さの喪失」といったような近代化の矛盾を体現し、そしてその時々の時流のなかで人々を開発実践へと動員する際の概念的装置としての「青年・若さ」(またはその失効)に焦点を当てることは、「開発と文学」の議論に新規性をもたらしうると考える。今後は、この枠組みを発展させ、現代社会が抱える開発をめぐる諸問題とそれが(程度の差こそあれ)私たちの自己開発に波及したものを考える足場を提供することが期待される。
報告者:汪牧耘(EAA特任助教)