「木立のところどころで、じいじいという声がする。蝉が声を試みるのである。白い雲が散ってしまって、日盛りになったら、山をゆする声になるのであろう」。文豪森鴎外が小説『杯』で描写した夏の景色は生き生きとしたもので、この光景は古い時代から現世、そしておそらくこれからもそうであるように、書院に訪れる人々の眼底に残る。「陶山書院」を始めとした古き教育施設「書院」は、韓国の安東に未だに11個の遺構を残している。儒教から受けた影響の強い韓国では、当時朝鮮王朝が統治理念とした性理学をはじめとする儒教を地域の民衆に教えるために、教育の施設として書院を設立してから、およそ四、五百年以上経っている。今は世界遺産に登録され、観光名所の一つになっているが、本来の書院とは教師と生徒が共に暮らす、共に学問を追求する場所である。
翠緑な山々に抱擁される中、今回訪問した「陶山書院」も「屏山書院」も他の書院と同じく自然に囲まれて、都会からは意図的に離れたところに設置されていたように感じる。大邱の道東書院、栄州市の紹修書院、慶州の玉山書院と共に朝鮮五大書院で呼ばれている「陶山書院」と「屏山書院」は、「前学後廟」という構成をしており、書院の前方は教師、生徒の日常生活の場所になり、中央には教室で当たる学問の場、そして最も上部になる書院の後部には祠が設置されている。自然と共に学問を追究する、それは現代の便利性に欠けている反面、書院にしか感じられない独特な風格や感銘がある。それには正に山泰幸氏と張政遠氏が対談で語りかけていたように、書院はいま子ども連れの家族や海外の観光客たちの訪れる場所になっているが、その環境を活用する為にはやはり教育活動に使うことが望ましい。書院の独特性の一つである「共生」は、現代の視点に置ければ教師と生徒の同寢共食の意味だけでなく、地域の共生的なベクトルにも意味をなす。災害の遺構は鎮魂、記録と戒めの意義を持っており、それと同様に、遺構として存在する書院は現に教育の意味をなくでも、その地域で生きる人々の感情や経歴が記載され、その地域の歴史を象徴する役割を持つ。それは単に過去の物語の伝承だけでなく、現にその地域に生きている住民たちの精神的な支えにもなり、新しい物語の伝承にもなれる。書院は伝承的な教育機関の役割を復活させることがなくても、その遺構を活用し、地域的な災害対策活動や市民活動を試みることには意味があるだろう。
物語の伝承が被災者の心のケアになることは、ナラティヴ・セラピーの視座からも証明されている。今回のセミナーの二日目には、韓国最古の原発である古里原子力発電所とその周辺の村落を訪問した。その居場所は韓国釜山市の海沿いにあり、付近の民家との距離も目測できるほどに近い。そこで一番感銘を受けていたことは、実際に原発炉付近に住んでた人々の物語である。東日本大震災を経て、世間は原発炉に対するイメージが一般的にマイナスであり、原発炉付近の地域も様々な風評被害を受けている。古里周辺の住民も当然移住問題で困っていることになるが、原発炉建設による莫大な地域の建設や支援金などの経済的利点も相まって、住民たちは簡単には解決できない矛盾に直面している。原発の建設には反対だが、原発の建設を阻止すれば現居住地からの移出も不可能となる。しかしながら、古里の地域には「先祖の共存」の概念自体は存在しないため、既に原発炉建設のために故郷から離れた人々は、故郷の先祖と、移住先の既に祀られている先祖との共存はできないことになり、結局古里の住民にとっては先祖が故郷に残されたまま、故郷の喪失を今も苦しんでいる。むろんこれらのジレンマ状況は簡単には解決できないが、その住民たちの声を聞くことはできる。災害からの復興もそうであるように、何がその地域で生きる人々にとっての苦痛になっているのか、それから何が彼らにとって一番大事なのかを考え続け、実際に人々の物語を記録することこそ、災害と復興に対する重要な姿勢だと感じる。地域の記憶を保存する遺構と、人々の記憶を保存する物語の伝承、両者は共に不可欠であると思う。
一つ一つは小さな鳴き声であるとしても、持続すればいずれは山をゆする程の力となる。一人一人の物語は些細に見えるが、それも大事にしなければならない。
報告者:劉仕豪(総合文化研究科地域文化研究専攻研究生)