2023年7月21日(金)から22日(土)の二日間、釜山大学にて「日韓災害研究セミナー ”災害復興とSlow Disaster”」が行われた。主催は釜山大学SSK Slow Disaster研究チームと関西学院大学大学災害復興制度研究所、共催は東京大学東アジア藝文書院、東京大学放射線科学連携研究機構及び大学等の「復興知」を活用した人材育成基盤構築事業 「飯舘村における将来世代への復興知継承に向けた教育研究プログラム」・「福島復興知学の深化と展開:ミルフィーユ型人材の育成基盤構築」であり、各所属の学者たちが災害に対する認識、災害からの復興、それから被災者のケアに関するテーマをめぐって、それぞれの研究成果や最新の研究関心を語った。
セミナーは釜山大学Slow Disaster 研究代表である周鈗涏助教授の開会挨拶から始まった。先ず、周教授は「災害」の概念と認識の定義についての解釈を述べた。周教授、「災害」は一つのイベントではなく、プロセスとして見るべきであると語った。21世紀で我々が直面した様々な災害、例えばパンデミックや気候危機など、常時発生する災害は「Slow Disaster(遅い災害)」と見て、災害における個人や集団に発生する「害」とは一体どんなものを指すのか、それを見極めるのが重要であると語った。「遅い」とは時計時間(クロックタイム)的に「遅い」のではなく、災害後に長い年月をかけて生まれる人間と自然の時間的関係を意味する。すなわち「災害」とは継続するものであり、災害の発生する前の予防策や、災害と直面した後の被災者個人と共同体が感じるもの、トラウマ認知や回復に対して、如何に長期的、質的、横断的な立場で取り込むことができるか、災害後における回復の核心的な要素を突き詰めることがSlow Disaster研究チームの研究重心の一つである。
Slow Disaster研究チームは異なる面から災害への調査を行った。方法論としてはナラティブ研究を重心とした歴史記述の深層歴史研究(ディープヒストリー、ディープタイム)や、プロセス社会学と質的長期研究、ライフコースの分析や時間的なプロセスを分析する方法論を開発した。それらを用いて様々な災害の調査において、三つの重要な基盤:健康の正義(health justice)、回復的正義(restorative justice)、変革的正義(transformative justice)を結果として確立した。災害後に直面した問題だけに注目するのではなく、災害以前から地域の抱える問題も含めて、被災者を中心としてその脆弱性を理解し、現状回復の上でより良い未来への変革のために力を注ぐことは、「遅い災害」に対峙しての重要核心であると語られた。
その後、関西学院大学災害復興制度研究所主任研究員 • 准教授である羅貞一教授が関西学院大学災害復興制度研究所について紹介した。2005年1月17日に成立した関西学院大学災害復興制度研究所は災害被災者の生活復興・再生を中心テーマとする日本初の研究所であり、国際的な協力と地域の興隆を方針として研究活動に尽力する機構である。毎年1月に復興・防災フォーラムを開催することや国際的災害復興ネットワーク協力体制を築くために毎年開かれたシンポジウムのほかには、「災害ポランティアハンドブック」、「原発避難白書」、「復興経済の原理と若干問題」など様々な面から災害復興に関する書物を出版し、災害被災者や被災地復興のための研究成果を紹介している。
次に、東京大学農学生命科学研究科の溝口勝教授が「福島から始まる日本の復興農学」というテーマのもと、東日本大震災による原発被災地の一つである福島県飯舘村の現場課題やそこで開発した最新の農業技術を語った。原発事故直後、現場主義を貫き通す溝口教授は飯舘村へ行き、土中の放射性セシウムなどの汚染分布調査や農地除染法の開発を試みた。農林水産省が提唱した農地の除染法とは別で、溝口教授と当地の農家が凍土剥ぎ取り法や田車による除染などを経て、放射性セシウムは粘土粒子に対して強く吸着性があることが判明した。実験の一環となる泥水は砂の層を通ることによって濾過され透明になり、放射性セシウムも検出されることは極めて低いと分かった。すなわち、セシウムは土壌の間では移動しないため、汚染土を削り出してのち、50cmの深さにある素掘りの穴に埋めて時間を経過すれば放射性量は1/100から1/1000になり、その埋設土の上で新たな土壌を舗設してイネの栽培をしても、白米の放射性セシウムの濃度はすべて10Bq/kg以下なのだと実験によって判明した。今までの汚染土の処理方法は表土を削り取って処理して、どこかに山積みにして放射性量の自然衰退を待つことが主な手段だっが、結果として優良な農地が大量に失われたことになる。紛れもなくそれは当地に暮らしている農家たちにとってひどく心苦しいことで、復興を妨げている一つの要因でもある。溝口教授は文化的資産の復興はいつも後回しになることが、それこそ一種の「Slow Disaster」ではないかと指摘した。現地の農家たちの心理状況と暮らしの実際状況を重視して、技術を用いて土地も住民の心も復興(resilience)することが大事だと語った。
さらに、東京大学アイソトープ総合センターの秋光信佳教授は「原子力災害復興支援からの学び ~支援から協働へ~」と題して語った。生物科学を専門分野とした秋光教授は東日本大震災後に福島原発事故へ関心を持ち、災害後には復興に向けて現場に足を運んでいた。秋光教授はまず原子力発電の原理について紹介し、そして津波による原発炉の炉心冷却機能の喪失や炉心融解までの概略、及び段々と拡大する避難指示の範囲についても説明した。そのような中で秋光教授が重視したのは原子力災害におけるコミュニティ崩壊であり、文化喪失である。福島第一原発から20km圏内はほとんど立ち入り禁止の”警戒区域”となり、地域住民のコミュニティの崩壊は目に見えるものとなった。地域復興の手伝いをするため、環境への除染作業以外にも、如何に大学の知識や技術を地域まで展開できるのが、福島の現場で学んだ学問を如何に拡大するのかが、これからの課題になるだろう。
つづいて、東京大学東アジア藝文書院長である石井剛教授は「忘却された記憶について記憶すること」と題して語った。石井教授は中国哲学の研究者であり、今回のセミナーでは災害後の心的外傷後ストレス障害(PTSD)、心的外傷後ストレス反応(PTSR)とそのケアの行方について話した。石井教授は2008年で中国四川省にあった大震災と2011年東日本大震災の経験を基にまずPTSDとPTSRその両方の分別を説明した。PTSDというのは「精神的な傷はうまく処理できていないとずっと心の奥底に留まり続けます。それは必ずしも時間の経過と共に忘却の彼方へと消えていくわけではありません。」と説明されたような特性を持つ一種の精神的障害であって、一方PTSRというのは精神的障害までにはいかないものの、「同じようにトラウマによって惹き起こされるさまざまな心身反応を広く含む概念」である。何かのきっかけで被災者の精神状態や心理的ストレスが刺激されて、そこからギャンブルへの傾倒や自動車の暴走などの行動が誘発されることは多く報告された。PTSRはPTSDほどの精神障害として明らかな病理的表現がないため、実際にPTSRと向き合えないまま生活しなければならない被災者も大勢いる。忌々しい記憶を抑えて、元気であるかのように生活して、無理矢理に災害に関する記憶を忘却しようとすることは、時に被災者に精神的な負担を掛けることになると石井教授は指摘した。
精神的に不快な記憶やトラウマは、それを(何かの決定的な違い条件を加えることを前提条件として)擬似的に再現することで、トラウマ自体を鎮めることができるという治療法を石井教授は紹介した。例えば地震にトラウマを抱える被災者に、(被災者と施術者との間に信頼関係が持ってるという前提条件の基に)座っている椅子を倒させることや、自ら椅子を揺らすことで、それが地震の震動に対する恐怖を抑える効果が見られると指摘された。トラウマを別の物語を置き換えることで、忘れることが出来ない記憶でも、忘却することではなく、克服できるようになる。それは災害後の被災者に「心の復興」において重要な一環とも言える。石井教授は最後に『荘子』の魚たちが苦境を臨しても身を寄せて互いの唾液で潤し合う寓話を引用して、人と人も同じ共同体の中、同じ「江湖」の中で互いに支え合う重要性を忘れてはいけない、それこそが災害に向けて一つの方法ではないかと語った。
最後に、関西学院大学災害復興制度研究所長の山泰幸教授は「災害遺構と防災リテラシーの向上 一 大正の地震・火山噴火の記憶の継承」と題して語った。まず山教授は1914年に発生した桜島の大正大噴火の経緯を簡単に紹介し、そこから災害遺構の重要な役割について語った。火山噴火において厄介な災害の一つとしては大量の軽石火山灰の降下だが、それは経験者でなければ簡単に想像することはできない。ここで、今でも現存してる桜島の黒神地区の腹五社神社は災害遺構としてその価値を示している。腹五社神社は火山噴火による大量の軽石や火山灰で埋め尽くされ、鳥居の上部だけが地面に見える状態になっている。鳥居は比較的に高い建築物であっても、火山噴火の軽石や火山灰によって大半部が埋め尽くされ、当時の災害の恐ろしさが目に見える形として残されている。災害遺構の重要性は正にそこにある。これらの災害遺構を活用し、将来の災害に向けて、事前に避難訓練や防災訓練などをより効果的実践することが、災害遺構の大切な役割だと山教授が指摘した。
セミナーの最後には学者と参加者の間に活発した討論が交わされ、参加者が全員異なる分野から災害に対するより深い理解と知識を得、初日のセミナーは幕を下ろした。
報告:劉仕豪(総合文化研究科地域文化研究専攻研究生)