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2021.06.15

【報告】連続シンポジウム「世界哲学・世界哲学史を再考する」第3回「哲学の領域横断的対話を求めて」

『世界哲学史』(全8巻+別巻、ちくま新書)

2021430日、連続シンポジウム企画「世界哲学・世界哲学史を再考する」の第3回「哲学の領域横断的対話を求めて」がZoomにて開催された。この連続シンポジウムは、2020年にちくま新書から全8巻+別巻が刊行された『世界哲学史』シリーズの編者である納富信留氏(人文社会系研究科)をオーガナイザーとして迎え、「世界哲学(史)」というコンセプトのさらなる可能性を探究する試みの一環である。

3回となる今回のシンポジウムでは、オーガナイザーの納富氏に加えて、『世界哲学史』の第2巻第4章「大乗仏教の成立」を寄稿した下田正弘氏(人文社会系研究科)、第3巻第6章「イスラームにおける正統と異端」を寄稿した菊地達也氏(人文社会系研究科)、第6巻第4章「啓蒙から革命へ」を寄稿した王寺賢太氏(人文社会系研究科)が参加し、それぞれの視点から領域横断的に「世界哲学(史)」の可能性について論じた。議論の糸口を提供するため、そこに笠松和也氏(人文社会系研究科・博士課程)が加わり、自身の専門も踏まえた観点からコメントを行った。

まずは納富氏から、今回のシンポジウムの趣旨説明が行われた。ひとつのテーマに関連した登壇者が集ったこれまでの2回を振り返りながら、氏は時代・地域・主題がそれぞれ異なる登壇者が集まった今回のシンポジウムの位置づけを語った。「世界哲学(史)」という枠組みにおいては領域横断的な研究は不可欠のものであって、異領域ではあれ広義の「哲学」に携わる研究者がそれぞれの方法論を持ち寄ることで、従来の哲学研究を刷新する視点を養うことが本シンポジウムの狙いである。

最初の登壇者である下田氏は、「仏教における歴史性と超歴史性」という題で報告を行った。氏は、「世界哲学史」という試みが、単一の理念へと向かう普遍性と、様々な思想的な営みの歴史を拾い上げる多元性の双方を希求する両義的な営みであるという理解を示したうえで、そのような営みの一環として仏教史を紐解く。仏教においては、仏(ブッダ)・法(ダルマ)・僧(サンガ)の三つを宝とみなす「三宝」という考え方があるが、この三宝をどのように捉えているのかに注目することで、仏教を記述する形式の変遷を追跡することができる。ブッダが自らの悟りの体験を言語化された教説として広めることを決意する「梵天勧請」として知られる場面をきっかけとして、ブッダの内面における悟り(仏)と言語によって外界を流布する教え(法)が分化し、人々(僧)に受容されていく。このように、三宝と呼ばれるものは歴史的にはブッダというひとつの起源を持っているとされている。しかしながら、ブッダの入滅をきっかけとして、それら三者のいずれが理論的に特権化されるべきであるのかという解釈は、継承の営みのなかで様々に変化してきた。このように、歴史叙述の繰り返しのなかで、過去は同一性と多様性という二つの相を伴って立ち現れるのである。リクールの歴史記述の理論も参照しながら、仏教記述の歴史を「世界哲学(史)」の試みと重ね合わせるような図式を示して、下田氏は発表を締めくくった。

菊地氏は、「イスラム思想の中のギリシア哲学」という題で報告を行った。氏は最初に、自らがイスラム思想研究者として「世界哲学」についての原稿執筆を依頼されたときに感じた戸惑いを振り返った。ヨーロッパ文化圏と地理的・歴史的・思想的に近いことをどう捉えるべきなのか。また、ギリシア哲学の継承関係をどのように位置づけるべきなのか。そういった問いを念頭に置きながら、菊地氏はイスラム世界と哲学との関係を整理しようと試みる。イブン・スィーナー(アヴィセンナ)、イブン・ルシュド(アヴェロエス)に代表される「イスラム哲学」は、彼らの没後も継承され発展していることが近年の研究で明らかになっている。その哲学の一部は、イスラム神学やシーア派の思想、スーフィズムにも継承されている。また、ギリシャ哲学のような外来の要素を排除してコーランやハディースといった聖典に立ち返ろうとするのがサラフ主義である。これらの思想が、イスラム世界の思想を「世界哲学」として考えるときにしばしば注目される。図式的な整理を行った後、菊地氏はシーア派主流派から分派したイスマーイール派と、そのイスマーイール派からさらに分派したドゥルーズ派におけるギリシア哲学的な痕跡について論じた。とりわけドゥルーズ派においては、イスマーイール派ペルシア学派の新プラトン主義的な用語が換骨奪胎され擬人化されることで、独特の世界観を形づくっている。ドゥルーズ派のように、ギリシア哲学の影響を受けながら、本来のギリシア的なものへと回帰しようとする動機を一切欠いた独特な思想は「世界哲学(史)」のなかでどのように位置づけられるのか。そのような問いを提示して菊地氏は報告を締めくくった。

王寺氏は、「フランス啓蒙から見た世界・われわれ・歴史」という題で報告を行った。王寺氏は、『世界哲学史』シリーズに寄せた論考「啓蒙から革命へ」において、モンテスキューやルソーを取り上げながら「政治的自律」の理想と実現についての考察を行っていた。そのなかで、オーソドックスな政治思想史の枠を超えて「世界哲学史」プロジェクトに貢献できた点としては、ルイ14世没後に各地で生じた政治的変革を世界的な展望で捉えたときの18世紀フランス政治思想の位置づけを示したことであると氏は振り返る。そしてそれに接ぎ木される課題として、18世紀後半のフランスにおいて「世界」がどのように記述されたかを検討することを提案する。この時代に、世界的な展望で歴史を捉えようとしたのは哲学者たちであった。彼らはどのような世界叙述を試みたのか。そこから私たちの「世界哲学(史)」への示唆を取り出そうというのが、王寺氏の目論見である。ボシュエ『世界史論』で主張されたようなローマ帝国とフランス王国の連続性が、ブーランヴィリエやモンテスキューの「ゲルマン起源説」によって批判されたとき、そこではキリスト教的な世界観に根ざした歴史記述の在り方が問い直されることとなった。それと並行して、国際通商の発展と西欧諸国間の軍事的衝突の世界化を背景としたヴォルテールやレナル/ディドロの議論は、国際的な秩序をどのように構想するかという問題を提起した。ここで挙げたような18世紀フランスにおける哲学者たちの世界史叙述が、現代の世界哲学史の記述にとって持つ意義を強調して、王寺氏は発表を締めくくった。

三人の報告の後、スピノザの思想を専門的に研究する笠松氏がコメントを行った。氏は、「世界哲学(史)」というプロジェクトが、哲学を世界の多元性へと開いていくことで、哲学が求めていた普遍性を回復しようとする試みであるという理解を示したうえで、三者の発表が、いずれも哲学と歴史との関わりを考えることによって「世界哲学(史)」の目論見を達成しようとしていた点で共通しているのではないかと指摘した。

その後は、納富氏の問題提起から登壇者によるディスカッションが行われた。笠松氏が指摘したように、いずれの発表も哲学と歴史との関係について扱われていたが、普遍的な真理の探究としての哲学と、個別的な事象の記述を積み重ねる歴史記述の関係は複雑なものにならざるをえない。下田氏や王寺氏の議論に見出されるように、歴史叙述をどのようなレベルで行うかによって哲学的に導き出される議論が異なることもあれば、菊地氏が扱ったドゥルーズ派のように、もはやプロティノスのような自らの起源にある言説をまったく意に介さないものを哲学的にどう評価すべきかといった問いが提出されることもある。各登壇者が提出した事例を出発点として、哲学と歴史の関係についての多角的な議論が行われた。

「世界哲学(史)」が目指す普遍性への衝動は、互に異なった個が出会うことによって生まれる。それは自らと異なるものを抹消することによってではなく、他なるものと共在するための秩序を模索することによって満たされなければならない。今回の領域横断的なシンポジウムという現象がそれを体現するものになっていたのではないかと感じたのは、筆者だけではないであろう。

報告者:田村正資(EAA特任研究員)

第3回シンポジウムの参加者からいただいたご質問・コメントの一部を紹介させていただきます。回答はシンポジウム発表者個人の意見です 

 

Q1

従来、「哲学史」の教科書には、世界中に迷信や宗教や、諸思想があったが、それらを克服するものとして「哲学」が誕生した。儒教も仏教も「思想」としては高度だが、「哲学」ではなかった・・・みたいな言説があふれていましたが、それに対する距離感はどうでしょうか?それらもみな一緒くたに「哲学」とするのか?あるいは、「哲学的な濾過」(?)を経て、哲学とするのか?

 

A.(納富)

ご紹介いただいたような従来の見方を払拭するのが「世界哲学」の試みの目標です。そこで前提されている「哲学」の理念が、実は単一のものでも絶対的なものでもなく、「神話・宗教」などとの区別も厳しい反省が必要となっているからです。例えば、アドルノ・ホルクハイマー『啓蒙の弁証法』が「神話/合理性」の対比を根本から見直したような問題意識です。私たちがこれまで「哲学」と前提してきた考え方・視野の偏りや狭さを再考することで、新たな「哲学」理念を展開すると、そこでは自然にこれまで排除されてきた多様な考え方がより生き生きと、現在の哲学にとって意義あるものとして現れてくるのではないかと期待しています。

 

A.(下田)

  仏教についていえば、西洋世界において、研究が本格化した19世紀より現在に至るまで、圧倒的に、宗教ではなく、認識論、存在論を主題とする、哲学として扱われてきています。宗教的な側面から、多様な要素を視野に入れる方向で研究が進み始めたのは、1960年代以降のことになります。哲学史の教科書に記されているというご指摘の内容は、研究の実態からはかけ離れています。

 

Q2

王寺賢太先生のご講演に関連して。グローバリズムの画一性――ますます強まる英語帝国主義もその一端かと思います――に対して、すでに啓蒙の内部に、そうした動きとは異なる(普遍性のなかの)多元性を包含するベクトルも存在していたということが示唆されていたかと思います。世界の多元的秩序となると、それは具体的には主権国家分立体制ということになるのでしょうか? 国民国家のリベラルな役割、つまりグローバルな画一主義に対して文化や言語の(一定の)多元性を守る防波堤として、主権国家や社会的連帯を再評価する論調は、フランスに加え近年では英米圏でも強まっていると思いますが、そうした議論と啓蒙の多元主義・植民地帝国批判は重なり合うものでしょうか?それとも別様の可能性がそこには見出せるのでしょうか?

A.(王寺)

 啓蒙の政治思想が、ルイ14世の治世以降、「教会」と「帝国」の下でのキリスト教圏の統一に代わる、ヨーロッパの国際秩序の模索から出発していることは動かないと思います。レナル/ディドロに代表される、いわゆる「啓蒙の植民地主義批判」が、近世の「ヨーロッパの拡大」がヨーロッパの外にもたらした「帝国」ののりこえを、すでにして「グローバル」な広がりを見せていた商業資本主義の地の上で主権国家体制を普遍化する方向を志向していたことも事実です。その意味で、私は啓蒙期西欧の政治思想に国民国家を単位として構成されるグローバルな政治経済秩序の先駆を見る立場はあながち間違ってはいないと思います——ただし、私にとってそれはむしろ啓蒙のある種の歴史的限界を示すもののように思われますが。しかしまた他方で、ルソーやディドロからロベスピエールまでの幅で、彼らが古代共和国のイメージに仮託した政治的理想を、単に君主制にかえて共和制を樹立する近代国家の模索としてではなく、むしろ近世の君主制国家が体現したような「主権国家」そのもののオルタナティヴの模索として読むことは可能であるように思えます。その際には、いわばフランス革命によって流産させられてしまった啓蒙のモーメントをあらためて読解することにまだなんらかの意義を認めうるかもしれません。

 

A.(納富)

グローバルな一元化への抵抗は、ナショナリズムやトラディショナリズムで簡単に実現できるものではありません。むしろ、西洋哲学、英語等に回収され還元されない多視点を確保し、それを普遍的に呈示して新たな対話の場を開く努力が必要だと考えています。「多元性」は旧来の国民国家の枠組みではなく、文化、階層、地域など多層なレベルで追求していくべきでしょう。とりわけインターネットなどが発達した現在では、一つの集団、あるいは一個人が複数の枠組みに属するという多元性と開放性を重視すべきだと考えています。

世界哲学を遂行する「言語」という問題は非常に重要ですので、回を改めて議論したいと思っています。

 

A.(下田)

シンポジウムでは取り上げなかった視点からの話になりますが、現在、知識のありようを急速に大きく変化をさせつつあるデジタル媒体は、あらたな世界共通語のような力をもちはじめています。この地平に現れてきつつある人文学を見ると、英語に統一されてゆくというこれまでの傾向とは反対に、個々の地域や国の固有性が尊重され、多様性が確保される向きに進みはじめています。こうしたあらたな事態は、「~イズム」を離れたところで先に生じていて、「~イズム」はそのできごとに本質を与えるべく二次的に生まれてくるいとなみになります。これからの研究は、一つには、こうした向きに進んでいくように思います。

 

Q3

今回は歴史という観点から、世界哲学の困難さと可能性の両方が垣間見えて、哲学を哲学と呼べるような同一性とは何かと改めて考えさせられました。下田先生が語られた「外来の世界を受け容れて、自らが他になってゆく」ことがギリシア以来の哲学にもあるのだとしたら、哲学の同一性を特定することはできるのでしょうか。菊池先生のご発表は、同一性がそもそも自覚されていたのか、という点に関わると思います。それとも同一性自体が動く(場合によっては反転する)ようなその動きを、世界哲学は一続きのものとして捉えることができるのでしょうか。

 

A.(納富)

哲学は「同一」である必要はありません。ウィトゲンシュタインが言う「家族的類似」で構わないのではないでしょうか。一つの理念の絶対的な実現というより、多様な状況と文脈における実践として、多元的な哲学のあり方を求めていく場が「世界哲学」だと考えています。世界哲学は一つの運動であり、そこに巻き込まれる諸哲学に「参加資格」といった制限はありません。むしろ、「哲学」を異化する役割も大切だからです。

 

.(下田)

 よくご理解されたうえでのご質問だと思いますので、ここでの回答はいささか蛇足ぎみになりますが、仏教を例にとれば、その同一性は、静的に固定されたものでなく、歴史的運動としてあるものです。「外来の世界を受け容れて、自らが他になってゆく」のは、そうした仏教の運動の一面をとらえたもので、仏教がたんに解体していくことを意味するのではなく、逆に仏教という固有の運動の存在を示そうとしたものです。重要なのは、仏教は現に存在していることです。こうした運動のありようは、それぞれの地域の哲学や宗教において相違があり、それは比較をすることによって、初めて明らかになります。その点で、世界哲学の企図は力を発揮すると期待しています。

 

A.(王寺)

私のフランス啓蒙理解に従えば、西欧中心主義の強靱さは、差異を排除する同一性の顕揚にあるよりも、むしろ自己同一性を積極的に「否定」し、そのようなかたちで「差異」を積極的に受入れ、まさに自己差異化する運動として、結局のところ、事後的に同一性を確保し続けるとでもいった、弁証法的なからくりにあるように思います。私が、西欧中心主義に対して多元主義を立てるだけでは、不十分なのではないか、という懐疑を抱くのはそのせいでもあります。

 

Q.「本日は充実した内容のお話を伺わせて戴きまして誠にありがとうございます。私は哲学専攻ではなく(表象文化論研究室出身)、幾人かの方の著書を勢いで読んだのみで、参加するのもどうかと思いましたが、幅広く参照点を置いてくださり、理解のきっかけを掴むことができました。細かい点で恐縮ですが、王寺先生のお話で、スライドには「自己所有」とあるところを「自己の身体の所有」と口頭で補足していらしたのですが、それでよろしいのでしょうか。」

 

A.(王寺)

ロック以来、フランス18世紀のケネーやディドロに至るまで、「自己所有」の問題が論じられる際には、つねに、「自己の身体の所有」が陰に陽に問題になっています(ローマ法に遡る « habeas corpus »〔汝は身体をもつ〕という法諺に由来する主題です)。したがって「自己所有」=「自己の身体の所有」というふうにして間違いだとは思いませんが、その際にはただちに、「身体」を所有する「自己」とはいったい何なのか、あるいはさらに「自己」が「自己」を所有すると言うときに、この所有の主体=客体としての「自己」は「自己同一性」をもちうるのか、といった問いがただちに浮上します。この点については、ロック研究のなかでも盛んに議論のあるところだと思います(たとえば、Etienne Balibar, “« My Self », « my Own » : variations sur Locke”, dans id., Citoyen Sujet et autres essais d’anthropologie philosophique, Paris, PUF, 2011所収——英訳は存在すると思います——などを御覧下さい)。

 

Q4. 菊地先生のイスラーム哲学について、普遍知性が男性名詞で、普遍霊魂が女性名詞というのに興味を惹かれました。旧約聖書でも男が先で、女性は男の脇腹から生まれたという記述がありますが、ヨーロッパにせよイスラームにせよ、こうした記述の仕方には男性優位の視点が反映されていると言えるでしょうか。(また今回のシンポジウムとは話題がずれてしまいますが、日本の記紀神話で考えると天照大御神は女性神、という説が普及しているようですが、男女の優位についての意識がもし日本神話に現れているとすると、どのようなものがあるでしょうか。)

 

A.(菊地)

アダム神話はクルアーン(コーラン)にもあり、イヴが誘惑にかられアダムを巻き込んだという記述はないものの(2人は同罪)、最初の人間がアダムであることには変わりはありません。一般的な傾向として「男性優位の視点が反映されている」とは言えるでしょう。とは言え、講演内で触れたドゥルーズ派神話では男性名詞である(普遍)知性が第一存在者でしたけれど、同派の母体となるイスマーイール派の神話には、女性原理を体現した第一存在者(クーニー)が見られます。神話における男女の描かれ方は一様ではなく、神話の中での差別的記述が現実社会に存在する差別と常に直結するわけでもないでしょう。