2021年3月14日(日)14時より、東アジア藝文書院・ジャーナリズム研究会第五回研究会が、40名の参加者を迎えて開催された。新型コロナウイルス感染拡大防止のため、Zoomミーティングを使いオンラインで行われた。登壇者は巽由樹子氏(東京外国語大学大学院総合国際学研究院准教授)と前島志保氏(東京大学大学院情報学環・総合文化研究科准教授)である。司会は高原智史氏(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)が担当した。
研究会は、本会を主宰する前島氏の挨拶と研究会の趣旨説明から始まった。出版・ジャーナリズムが急速に拡大した近代における各国、各言語の現象の解明や、領域横断的な研究の進展に期待を示した。その後、高原氏による発表者各氏の紹介に続いて行われた発表内容は、本会の関心事「東アジアと世界におけるジャーナリズムの創造と展開」にかかわり、各氏が現在取り組む新たな研究であった。
最初の発表は、巽氏による「帝政期ロシアのジャーナリズム—媒体と担い手の特性について—」である。これまで皇帝の専制政治や検閲による抑圧、市民社会の脆弱性から未発達というイメージを持たれがちである19世紀ロシアのジャーナリズムの特性を、媒体と担い手の側面から再検討した。巽氏によれば、19世紀ロシアのジャーナリズムは固有の特性をもって展開しており、リベラリズムや自由を是とする見地から離れて評価した方がよいという。まずその前段階として、17世紀末から18世紀末までのロシア皇帝が主導した近代的出版の起源を紐解いた。特に1783年の私人による印刷所・出版社開設と地方印刷所設置の許可が知識人階級の文筆活動を活発化させた点が重要である。
つぎに巽氏は、帝政期ロシアのジャーナリズムの特徴として皇帝や科学アカデミーなどの「官」の強い関与と、ドイツ系に代表される非ロシア系人材の多さを指摘した。前者について、先行研究では、ゲルツェンなど革命派インテリゲンツィヤの出版活動が注目される傾向があり、文人官僚のジャーナリズムはあまり検討されていないという。巽氏はプーシキンやゴロヴニン、ゼレノイの事例を挙げて、彼らが「厚い雑誌」と呼ばれる月刊誌を発行し、政治や行政の改革を唱えた点を示した。そして1860年代の農奴解放に伴う「大改革」期のジャーナリズムでは、文人官僚らと革命派インテリゲンツィヤの間に出版・思想上の交流があったなど、文人官僚の出版活動のインパクトは無視できないと強調した。
後者については、マルクス社をはじめとするドイツ系書店とライプツィヒなど西欧の書籍取引の拠点都市とのつながりや、エフロンやヴォリフソンなどユダヤ系出版社とロシア帝国内のユダヤ系ロシア人の拠点都市との結びつきの重要性を示した。巽氏は、これらは近世以来のディアスポラでもたらされた国際商業ネットワークの残存であり、ロシアの出版の一翼を包摂したのではないかと推察した。
最後に巽氏は「官」との近さや非ロシア系人材の関与を改めて強調したうえで、第一次世界大戦時のロシアの報道や出版の研究にもつながるとの展望を述べた。マルクス社の絵入り週刊誌『ニーヴァ』に見る国民意識の複雑さや、週刊の準官製誌『戦争の記録』の一般社会への影響を例に挙げて、発表を締めくくった。
質疑応答では、ロシアのジャーナリズムの「官」と「民」を相互的に見る重要性を指摘した点に好意的なコメントが出されるなど、活発な議論がなされた。ロシア本国での近代ロシアのジャーナリズム研究の動向に関する質問には、ロシア国立図書館での堅実な研究蓄積があるが、書物流通の研究は手薄で、民族的ネットワークへの注目や国境・分野をまたぐ視点が乏しいと応じた。非ロシア系人材の関与が印刷出版を容易にした可能性やその背景を問う発言には、検閲を避けるためにロシア国外で出版したり、新規雑誌の発行が難しいなか、既存の出版社が持つ雑誌発行権を賃借して雑誌を創刊したりする事例が見られたと説明し、19世紀後半に出版制限が一時的に緩和された可能性もあると述べた。
巽氏の発表は、19世紀ロシアのジャーナリズムの知られざる特徴を、貴重な図版資料とともに、媒体と担い手という二つの側面から考察する大変充実したものであった。
文責:松枝佳奈(東京大学大学院総合文化研究科・教養学部附属 東アジアリベラルアーツイニシアティブ 特任助教)
報告文監修:前島志保(総合文化研究科准教授)
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