2021年12月2日(金)16:00より、第5回「部屋と空間プロジェクト」 研究会が行われた。前野清太朗氏(EAA特任助教)が司会を務め、田中有紀(東洋文化研究所)が、笹本正治著『中世の音・近世の音:鐘の音の結ぶ世界』(講談社、2008年)をとりあげ、報告を行った。
本書は冒頭で「ゆうやけこやけ」(大正12(1923)年)の歌を紹介し、そこに戦前までの村における夕暮れの典型が描かれていると指摘する。日が暮れて鳴る鐘の音は何を意味するのか、なぜ子供たちは皆帰らねばいけないのか、「山のお寺の鐘」の音が聞こえる範囲はどこか、そしてその範囲が持つ意味とは何か。本書は過去の日本人の鐘の音に対する意識の変化、特に中世と近世の間における音に対する人々の意識変化を、民俗事例を利用して詳細に検討し、この童謡に歌われる世界観が、日本社会の中でどのように形成されたのかを読み解く。
鐘はまず、誓約の場面で用いられていた。古代でも金属の音に対し人々は特殊な感情を抱いていたが、大きな梵鐘を用いての誓いの慣習は、中世の特徴である。鐘には水中や龍宮から来たという伝説が多く付与され、実際に鐘が水中から引き揚げられる事もあった。ここには、鐘は水中や地中に埋めることで時別な力が備わり、「この世」ではない別の世界と関連するという思想が垣間見える。中世前期の思想をよく表す『今昔物語集』等では、神や仏が出現する際、あるいは往生や死後の世界において、音楽が聴こえる描写がしばしばなされる。
鐘に対するこのような意識は中世後期以降、次第に変化していく。たとえば「無間の鐘」の伝説は、おおむね、自ら進んで鐘を撞き、無間地獄へ落ちる代わりに、この世での富貴を神に約束させることを旨とする。つまり人々にとって、神仏は恐れ従うだけの存在から、人間と対等な契約をなしうる神仏へと変貌したのだ。また、鋳物師は、鐘や鰐口など特殊な効力を持つ金属楽器を作り出す職人であるが、中世ではこの職自体が、「神に近い」「恐れの対象」であった。鋳物師はまた、光を制御できる道具として灯炉を作る職人でもある。昼から夜へと移り変わる黄昏時は、人間と「あの世」の住人である妖怪の交錯する時間帯であり、危険極まりない。鋳物師は、光を生み出し、神々の時間である夜に挑戦する人々でもある。ところが江戸時代に入ると、賎民頭の弾左衛門家に伝わる河原巻物に鋳物師が見える。聖なる職人としてより、差別の対象にさえなり、畏怖の気持ちが減少したことがわかる。
軍器として鐘や太鼓が使われたように、楽器は古くから、「この世」で人間を互いに結びつけるものでもあった。戦国時代以降、大名たちが梵鐘を徴発したことで、鐘に対する神秘的な意識が薄れ、単なる音を出す器具として捉える風潮が出てきた。また、古代においても、時刻を鐘の音で知らせることはなされていたが、やはり戦国時代に入ると、城の周辺に住む一般の人々にとって、太鼓の音は生活のための時計の役割を果たすようになり、ますます身近になっていった。
山のお寺で鳴る鐘も、それを目安にして生活を送る人々がいた。そもそもお寺が、一般人の生活に身近なものになったのは、応仁の乱以後、約200年の間に、寺院の数が激増したことによる。さらに一向宗や日蓮宗が村の中に宗教基盤を作ったこと、江戸時代の寺請制度によって、寺院が村の役所としての機能を果たしたことも要因である。お寺の墓地にも一般民衆のお墓が集中するようになった。このようになると、お寺の梵鐘も村民から寄進され、僧だけではなく最初から村民の生活を律する合図としても機能するようになる。
改めて「ゆうやけこやけ」の歌を考えると、この歌は特定の時代背景を持ったものであり、その背景には、古代から近世に至るまでの人間の精神・政治・経済の変化などが渾然一体として、歴史の層になって積み重なっていることがわかる。今でも私たちは神社で鰐口を鳴らし、しみじみとした心持ちで除夜の鐘を聞く。筆者は最後に、私たちの行動の中にも、歴史の積み重ねが入り混じって存在し、認識せずに古い行為を行っていることも多い、と指摘する。
本書と総合討論、そして報告者自身の研究を重ねながら、あるいは空間と関連付けながら、考えたことを書きたい。「鐘下」という言葉が、同じ鐘の音が聞こえる範囲で形成される共同体を示すように、音はそれが聞こえる範囲の人々を統合し、律していく新しい空間を創りだす。空間だけでなく、鐘は人々に時間をも伝えるのだから、新しい時間を創りだす役割を持つ。人々の生活をヨコのひろがり(空間)とタテのひろがり(時間)双方から支えていく、つまり、生活の「宇宙」を律していく役割を、音は持っているのではないか。さらに本書が論じたように、音は「この世」という空間のみならず、「あの世」という別の空間も結び付けるのだから、人間の「空間」「時間」をも超えていく。写真②は、北京中心部の北方にある鼓楼から見た風景である。鼓楼は鐘楼とともに、北京に暮らす人々の生活の「宇宙」を見守ってきた。今は専ら、観光客のために演奏がなされている。賑やかすぎる今の北京で、この音はほとんど聴こえない。それでも、私と同年代の北京っ子の友人は、「ここが私の一番好きな場所」という。「ゆうやけこやけ」を聞いて、失われた黄昏時の日本の風景を思い起こすのと似て、昔の北京に響いていただろう鐘や鼓の音は、それを体験していない世代にとっても、世代を超えて、自分が属している共同体を想起させるような記憶として、機能しているのだろう。
本研究会ではこのほかに、様々な話題が論じられた。禅の専門家からは、仏教の大衆化と「山のお寺」あるいは墓地について、建築学の専門家からは「鋳物師」という職人から見る「人間」と「自然」の関係について、さらに職人の技術と近代の建築技術の接続について。このほかサウンドスケープという観点からの東西比較、イギリスの教会の近くに住んだ経験から得た生活の一部としての鐘の音、さらには医療で応用される音の機能や高音が人間にももたらす影響について、などである。
宣伝になって恐縮だが、毎回ブログ報告ではお伝えしきれない、豊富な議論が展開されていることをお伝えしたい。前野氏によるチャット欄での詳細な情報提供も楽しい。ご興味のある方は、次回12月27日(月)にシンポジウムを行うので、参加して頂ければ幸いである。
田中有紀(東洋文化研究所)