2025年3月8日(土)14時より、第42回東アジア仏典講読会がハイブリッド形式にて開催された。今回は釈道礼氏(台湾大学歴史学科博士後期課程・東京大学東洋文化研究所訪問研究員)と黄霄龍氏(EAA)がそれぞれ発表を行なった。当日は対面で15名、オンラインで延べ22名が参加した。
釈氏は「釈迦の本源への回帰:近代中国におけるインド仏教史の形成と日本との交錯」というタイトルのもと、近代中国においてインド仏教の歴史記述および仏教学研究がどのように確立されたのか、また、それが日本の仏教学の研究成果からどのような影響を受けたのかを考察した。具体的には、楊文会をはじめ、梁啓超・梁漱溟・太虚・印順など近代中国の代表的な仏教研究者たちが、伝統的な仏教の枠組みから脱却し、近代学問としてのインド仏教研究をどのように導入したのか、その経緯と内容を概観するものであった。近代中国においては、従来の「漢文仏典を対象に」、「信仰のために」、「宗義を研究する」という伝統的な仏教研究から、「サンスクリット・パーリ語の仏典を対象に」、「歴史的な釈迦の実像を明らかにするために」、「学術的・客観的真実としての仏教を研究する」という近代学問としての仏教学へと大きく転換したことが示された。また、このような中国の近代仏教学の形成には、すでに西洋の方法論を受容していた日本の仏教学の影響が大きかったことも指摘された。
発表後の質疑応答では、近代中国の仏教研究において唯識学が特に重視された理由や当時の人々のインド仏教理解について質問が出された。それを承けた議論において、明末におけるキリスト教の浸透に対抗するために唯識学が注目された点、近代に『宗鏡録』から唯識に関する部分が抽出・出版された点、楊文会が南条文雄との交流を通じて唯識学の重要性を認識するに至った点などが俎上に上った。
黄氏の発表は、「中世永平寺の寺院法の展開」と題するものであり、現存する永平寺の寺院法に関する二つの文献——『永平寺住侶制規』(1249年)および『永平寺定書』(1509年)——を分析し、13世紀の寺院法と16世紀の寺院法の変化を分析した。その結果、16世紀の『永平寺定書』では、「政治的権力や宗教的権威への迎合・妥協を禁止する」規定が削除され、権力に対する排除的な姿勢が弱まっていることが確認された。
発表後の討論では、漢文原文の個々の漢字や単語の解釈に関するミクロな視点から、二種の資料の比較分析から導出された結論の妥当性を問うマクロな視点に至るまで、多岐にわたる議論が交わされた。すなわち、先行研究の解釈の妥当性や、「応」「縦」の字義などの問題に始まり、文中に見える「門前」「行者」の内実が問われ、13・16世紀の二種の寺院法の関係をどう理解すべきか検討が為された。
今回の仏典講読会は、通常のように原典を丹念に読み進める場というよりも、より大きな議論が交わされる場となった。そのため、一度視点を引き上げ、現在の研究の立ち位置を確認する機会となり、視野を広げる有意義な時間となった。特に近年、「近代性」という概念が人文学のさまざまな分野で問い直されているが、その点で釈氏の研究は、日頃考えている問題意識と結びつき、理解を深める貴重な機会となった。
付言すれば近年の研究では、近代性を単に西洋から東洋へ移入されたものとする見方だけでなく、開港以前の東洋にすでに備わっていた「近代性」にも注目が集まっている。その代表例として、江戸期の仏教学に見られる緻密な文献学的研究が挙げられるであろう。この問題は「近代性」の定義にも関わるが、近代性という概念を単に西洋起源のものとみなすのではなく、どの文化圏にも固有の「近代性」が存在し得るという視点から、今後さらに掘り下げて考察していきたい。
文責:宋東奎(EAAリサーチ・アシスタント)

