7月8日(月)10:30より、EAAワークショップ「「周程授受」と道学伝授の再考」が、東洋文化研究所大会議室にて行われた。報告者は許家星氏(北京師範大学教授、東洋文化研究所訪問研究員)である。司会は田中有紀(EAA)が担当した。人文社会系研究科中国思想文化学研究室の学生のほか、東洋史学、この時期に東京に滞在していた国内外の多数の専門家が参加した。
周敦頤と程顥・程頤兄弟の間に継承関係があるのかについては、道学の伝承全体、そして朱熹の道統という枠組みが成立するかどうかに関わる重要な問題である。この問題に対し、様々な解釈が行われてきた。具体的には周・程の間に師弟関係や交流があったのかどうか、周敦頤の著作に見える思想とはどのようなものか、周敦頤の「太極」観は朱熹に影響を与えているかどうか、などである。本講演ではまず、このような問題について最も早く議論した饒魯(1193-1264)の『金陵記聞注弁』をとりあげ、彼の思想を手がかりに、『太極図説』及び周敦頤の思想が、仏教や道教、王安石の新学とどのような関係にあるか、周・程の交流が無かったことを裏付ける五つの事象に対する解釈と思想の異同、二程が太極図を伝えなかった理由に関する朱熹の説、周・程が交流したと考えられる時期には、太極図や『通書』はまだ完成していなかったという説について検討した。続いて、朱熹の道統論に見出される二つの系譜について論じた。なぜ『四書集注』は「太極」に言及しないのか、なぜ『大学中庸章句』の序では周敦頤に言及しないのか、その一方で、なぜ『太極図説』を論じる際は周敦頤を尊崇するのか等、朱熹の道統論には矛盾があるようにも見える。しかし朱熹は、『四書』は日常の工夫を主とするも、太極本体を理論的基礎としており、両者は密接に連関していると考えている。周程の継承とは、本質的には朱熹が作りあげた理学道統の系譜であり、それによって理学の道への信仰と価値を高めようとしたのである。
本ワークショップで改めて考えさせられたのは、儒学において「道」とは何かという問いである。道学は道統を重んじるものであると考えれば、この「道」は、朱熹にとって欠かせないものである。朱熹が論じた周程の継承を歴史的事実として証明することは難しいが、朱熹はそのような困難を抱えこんだとしても、周敦頤から程顥・程頤への継承を重んじ、二つの「異なる」思想を融合させ、一本の「道」を作ろうとしたのである。おそらくこの「道」を、ある意味無理やりにでも生み出していこうとする生成過程において、朱熹が最も重要だと考えた思想が織り込まれており(日常生活における細々とした修養に関わる「道」が、宇宙全体を貫く本体である「道」とどう関わるか)、後世の朱子学者たちもまた、その「道」をたどることで、自分なりの朱子学理解を深めていったのではないだろうか。「道」はあらかじめ与えられたものではなく、自らが「道」を作りだし、その過程で新たな思想を生み出していくのである。このような思考のプロセスは、朱子学だけではなく、儒学という思想を考えることにおいても重要になるのではないだろうか。
報告:田中有紀(東洋文化研究所)