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2024.07.01

【報告】第34回東アジア仏典講読会(特別講演)

2024年6月22日、東京大学東洋文化研究所にて、商海鋒氏(香港教育大学)をお迎えし東アジア仏典講読会の特別講演会「円覚経・円覚洞・円覚寺:中古東アジアの円覚信仰とその芸文典範」を開催した。通訳と司会は柳幹康氏(東京大学東洋文化研究所)がつとめた。対面では20名、オンライン登録・参加は延べ70名、計90名が参加した。

 

 

 

商氏は近年、「東アジア宗教藝文思想史」と名付けられる研究領域を精力的に取り組んでいる。文字資料だけではなく、図像や物質資料も扱い、それらを通して、宗教思想がどのように新しい文学と芸術を影響したか、またどのような新しい作品が生み出されたかを検討するアプローチである。また、中国だけではなく、東アジア海域も見渡す試みが行われているそうである。商氏が香港教育大学を拠点に「東アジア古典学研修会 (East Asia Classics Academe)を創立し、今回の講演は、円覚信仰を事例にその手法と領域、および研究成果を披露するものと見受けられる。

 

講演はまず、「円覚蔵」の成立と意義、及び『円覚経』テキストの構造を分析した。北宋末期に、王永従・王永錫兄弟は、湖州帰安県(現在浙江省湖州)の思渓村にて工匠を雇って大蔵経を造り、これが「円覚蔵」となる。北宋初期の「開宝蔵」、遼の中期の「契丹蔵」、北宋末期の「崇寧蔵」に続き、「円覚蔵」は四番目の刊本大蔵経にあたる。この大蔵経を「思渓蔵」と呼ぶ研究者もいるようであるが、商氏は、五千巻なる大蔵経を一村の名前で呼ぶのは考えられなく、経典の名前および仏教の観念に基づき円覚蔵と名付けるべきだと強調した。

 

円覚は円満な覚悟(さとり)の意であり、仏性や如来蔵とも呼ばれて、東アジア漢伝仏教における核心的な教義の一つである。円覚経の思想は、北宋の詩画(例えば、北宋後期禅師普明の『牧牛明月頌』)、南宋の彫刻(例えば、大足の円覚道場や無名洞)、東アジアの建築(南宋臨安の円覚寺、日本博多と鎌倉の円覚寺など)という順で、東アジアにおいて漸次的に拡大した。円覚信仰をもとに花開いた芸術と文学、さらに国教の神聖空間としての建築といった、いわゆる円覚モデルがこのように検出されたのである。

 

 

質疑応答では、宋の孝宗が註釈を作った径山寺の序文「御註円覚経序」の信憑性や、鎌倉円覚寺の本尊の性格、南宋の円覚洞(道場)における宗教的実践などの問題について議論が盛り上がった。商氏の講演をもとにする研究の刊行が楽しみである。

 

 

報告者:黄霄龍(EAA特任研究員)