2024年4月20日(土)14時より、第32回東アジア仏典講読会をハイブリッド形式にて開催した。今回は土屋太祐氏(新潟大学准教授)と小川隆氏(駒澤大学教授)に資料の講読をしていただいた。当日は対面で11名、オンラインで31名が参加した。
土屋氏は前回に続き、玄沙打沙弥の公案の関連資料を講読してくださった。前回の玄沙打沙弥の公案――一切を包摂する仏性を示すため玄沙が一見無関係な沙弥を打とうとしたという話――以外にも玄沙には自他の無差別をテーマにすると思しい逸話が伝わっている。たとえば修行僧たちが飯を食えば玄沙も自ずと満腹になると述べた、衆を集めるために法具を打つ音を聞いた玄沙は「私を打つのだ」「この鐘は私の腹の中で鳴っている」などと述べたのだという。土屋氏によれば玄沙の理解の思想的源泉にあるのが、森羅万象を「妙明真心」(妙なる真実の心)の現れとみる『首楞厳経』、および個物が個物としてそのまま円成していることを示す『華厳経』なのだという。
小川氏は『宗門武庫』の第18段、法雲杲の羅漢の舍利の話を講読してくださった。法雲杲とは、北宋の都開封の法雲寺に住した禅僧の仏照杲であり、彼はその位を退いた後に景徳寺の鉄羅漢院に隠棲した。異常な酷寒に見舞われた冬の日、彼はそこに祀られていた羅漢(聖者)の木像を燃やして暖を取り、翌日その灰からは無数の舍利が出てきた。講学の僧たちは彼を批判したが、偶像の聖性に執われることなくただ焼いた法雲杲こそが真の禅僧であったのだという。
両氏の講読に対し、個物と全体の関係から玄沙の問答の細部をどう理解すべきか、法雲杲の逸話に見える「方寸禅」の語義が何であるのかについて質問が為され、活発な議論がなされた。
報告者:柳幹康(東洋文化研究所)
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