2024年3月19日(火)14時より、駒場キャンパス101号館11号室にて、EAA2023年度修了式が開催された。EAA駒場オフィス長の張政遠氏による開式の挨拶のあと、EAA院長の石井剛氏より祝辞が述べられた。石井氏は、書院に体現されるような新たな悦びと楽しみを、卒業しても、これからの人生で見つけてほしいと激励の言葉が渡された。それから第3期修了生である夏夢琦氏に修了証が授与され、夏氏からは、これまでの四年間の、友人たちと支え合いながら過ごされた学生生活を振り返る、修了生挨拶が述べられた。最後、第3期生代表の髙山将敬氏より卒業生メッセージが送られ、石川禎子氏、杜洋霆氏、ZHU XIUHUA氏、川戸健太竜氏からのお祝いの言葉を編集したビデオメッセージが披露された。それぞれがそれぞれの道をこれから進んでゆくが、駒場を離れても、またここに戻ってきてほしいと思う。卒業された方々の前途を心から祝福したい。
報告:髙山花子(EAA特任助教)
院長祝辞
夏夢琦さん、東アジア教養学プログラムの修了おめでとうございます。髙山将敬さん、卒業おめでとうございます。東アジア藝文書院は「書院」という名称を冠することによって、学生の皆さんがこれから先の長い人生の未来像を共有しながら共に成長するコミュニティでありたいと希望しています。お二人は共にそのユース生として、今日は晴れてこの場を訪れ、わたしたちは共にお二人それぞれの門出を祝うことができました。そのことをわたしはたいへん悦ばしいことだと思っています。
その一方で、この数年来、わたしはいつも心のどこかに何かえも言われぬ「怒り」のような気持ちがわだかまっています。それはいったい何なのでしょうか。書院というコミュニティを大学の中で新しい学問創造の起点にしようとした現代最初の人物とも言える、清華大学の甘陽さんがつい先日のインタヴューの中で、昨今の中国のトップ大学の学生さんが共通して抱える特徴を、八つの漢字で表現しています。
疲惫,焦虑,未老先衰
「疲労、不安、老いる前の衰え」とでも訳せるでしょうか。甘陽さんはこのような特徴が広がった原因は大人の社会の側にあると述べています。社会の繁栄を示す指標が国家のGDP成長率であり、人々は技術製品であるかのように生産性と効率性を評価されます。確率計算は、健康や衛生から毎日の天気に至るまでわたしたちの近未来を図る指標として生活の隅々にまで入り込み、わたしたちはそれに一喜一憂しながら日々を過ごしています。それはまちがいなく便利な生活なのでしょう。しかし、その中でわたしたちは時に自発的に、時に他から促されながら消極的に踊って見せ、そして、本来偶発性に満ち満ちた未来に向かって具体的な不安を抱きます。そして、不安を解消するためにはもっと激しく踊って見せなければならないのです。
コンヴィヴィアリティということばがあります。2022年度の学術フロンティア講義では、「共生」という日本語の持つ豊かな意味の一つとしてこのことばを紹介しました。これはもともと美食家として知られるブリア=サヴァランが用いたことばとして、のちにイヴァン・イリイチが現代産業文明に対する反省の視点として提唱したことで知られるようになりました。日本ではイリッチの翻訳を手がけた渡辺京二と渡辺梨佐がこれを「自立共生」と訳しています。ブリア=サヴァランはこのことばをつかって共に食卓を囲んで食事をすることの楽しみを表現しましたが、イリイチはこのことばを「人間的な相互依存のうちに実現された個的自由」を表す概念であると解釈し、わたしたちの社会が、そうした自由を人々共に認め合いながら「節度ある楽しみ」を享受できるようになるためのツールを探求すべきだと主張しています。
これは、中国哲学における「礼」の概念に通じるものです。「礼」の根本には人を含む自然の万物と共にあること自体の楽しみが横たわっています。それは宇宙の広がりの中にある生活全体を悦びと共に迎えようとする美的な感覚の身体的な表現です。
わたしは、「書院」における新しい学問生活とは、そこに集う人々がこのような悦びと楽しみの身体的表現者となることであると思っています。東アジア藝文書院は、大学という希望の府において、そのような場所を創造しようとする運動です。
今日、夏さんと髙山さんはいったんこの場所を離れて、新たな場所へと一歩を踏み出すわけですが、この運動はこれからも続いていきます。それはあたかもベルクソンの言う「エラン・ヴィタール」のように、夏さんや髙山さん、さらにはここから巣立っていくすべての仲間たちの将来にわたって運動のエネルギーとなっていくことでしょう。
夏さんと髙山さんにはこれからの長い人生の道のりの中で、どうぞご自身の悦びと楽しみを見つけてください。そしてそれをより多くの人と分かちあってください。そうすることによって、わたしたちの世界はきっと今よりもずっとましなものへと変わっていくはずです。そして、迷ったときにはまたこの101号館にもどってきてください。わたしたちはいつでも皆さんを温かく迎えたいと思います。
修了、そしてご卒業おめでとうございます。2024年3月19日
東アジア藝文書院 院長 石井剛
感謝に代えて
ロシアがウクライナに侵攻した2022年に私たちはEAAに加わり、何ができるのかを考える中で、佐藤麻貴先生が哲学や人文科学はどのように争いの感情を「キャップ」できるかを考える必要があると言われました。しかし去年の10月にはハマスによる略奪に続いて、イスラエルのガザの市民への強烈な空爆が始まりました。国際的な抑止力が有効に作用しない状況で何をするべきなのか、分かりませんでした。そんな中で、ナワリヌイ氏が死亡し、アーロン・ブッシュネル氏が焼身自殺をしたことは私にとってより一層衝撃的なことでした。それは、言葉に意味があるのかについて考えさせられたからです。言葉は手段であることを超えて人間にとって特有の意味をもつものだと考えています。しかし、言葉が世界との接地をより強く要請されるようになったと感じます。これは言葉にとって危機的な状況で、コミュニケーションの破滅を意味します。世界しか存在しないのならば、暴力しか存在する必要はありません。
ですが、言葉はそうした中でも、国連や大学などの機関や多くの個人が、国際法、人権、尊厳の尊重を求めて声を挙げ、イスラエルの用いた「human animals」という言葉を糾弾しました。また、中国が圧力を強める自由の弾圧に対して、言葉は抵抗の槍として確かに機能し得るものだと確信します。前院長の中島先生の言葉、「怒りもて書け」。これを心に留めて進んでいきます。
EAAで学んだことは、集まって、持ち寄って、話して、聞いて、議論して、体験することの重要さです。閉鎖的だった私をどんどん開いて、共感し、共有することがいかに心地よいものであるか気づかせてくれました。石井先生、張先生、王欽先生、裕珍先生はじめ先生方、渡辺さん、深田さん、張さん、RAの方々などEAA職員の方々に改めて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。今後益々の発展を心より祈念致します。第3期生代表 高山将敬