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2024.05.13

【報告】第30回東アジア仏典講読会

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2024年2月3日(土)14時より、第30回東アジア仏典講読会をハイブリッド形式にて開催した。今回は小川隆氏(駒澤大学教授)に『宗門武庫』の講読をしていただいた。

 

 

今回ご講読いただいたのは、『宗門武庫』第17段、湛堂文準(1061-1115)の洗鉢偈の話である。文準は大慧が長く師事した臨済宗黄龍派の禅僧である。彼が分寧・雲巌院の住持になったのは黄龍死心(1044-1115)の推挙によるが、その推挙の理由はひとえに文準の「洗鉢頌」を高く評価したからであり、面識すらなかった。その「洗鉢頌」とは以下のものである、「之乎者也 衲僧鼻孔大頭向下 若也不會問取東村王大姐(“なりけりあらんや”も なんのその わが鼻は このとおり ちゃんと下向きについておる そこのところが解らなければ そこらのおばちゃんにきくがよい)」。現実の役に立たない書物の学問とは関わりなく、己が鼻はもとより下向きについているというありのままの事実は、東村王大姐(そこらのおばちゃん)のほうがよほど素直に体現していると詠ったのである。文準は住持となった後も、一介の修行僧だった往時と何ら変わる所なく、自ら身を律して簡素に暮らした。その古人の気風を具えた様は、まさに後世の者たちにとっての良き模範だったという。

 

 

講読の後、唐代当時の禅と宋代に回顧された唐代の禅の違いや、後代に成立した禅宗の各種伝説、禅宗が唐宋で異なる様相を呈した時代的背景などをめぐって活発な議論が為された。

 

報告者:柳幹康(東洋文化研究所)