ブログ
2024.02.09

【報告】北京大学元培学院訪問

2024年115日から17日まで、北京大学EAAの学生と教員を迎えた国際交流が行われた。石井氏の悦びの記#21(2024年1月18日)で述べられているように、今回の交流はSummer Instituteのスピンオフとして東京という場で「開発と人間」をめぐる哲学に焦点を当てた充実した三日間であった。その内容を以下の報告を通してお届けしたい。

2024115日午後、駒場キャンパス101号館にて北京大学からEAA教職員と学生9名を迎え、三日間にわたる交流活動の開幕が告げられた。当日は、EAAの教育プログラムで開講される東アジア教養学演習の一環として、凌鵬氏(北京大学社会学系)および石井剛氏(EAA院長)による二つの講演が企画された。
最初に登壇した凌氏は、”Home, Factory and the Birth of Modern Individuals in China: An Analysis of the Life-World of the Character in Fei Xiaotong’s Cocoon”という講演を行い、中国における社会学の創始者・費孝通について論じた。氏は、代表作『江村経済』(1939年)をはじめとする費孝通の豊かな研究人生を紹介したうえで、本人の書いた英語小説”Cocoons”に焦点を当てた。興味深いことに、この小説の原稿は1930年代に執筆されたものの、2016年に偶然発見されるまでは世間に知られないままロンドン大学のアーカイブで眠っていたという(中国語訳は2021年に出版)。なお、タイトルの“Cocoons”という語は、蚕が糸で作る囲い、即ち「繭」を意味し、ストーリーの主な現場となるシルク工場に因んでいる一方で、閉ざされた伝統的社会が近代化に晒されて開いていくプロセスを象徴的に表現しているとも思われる。
凌氏の議論は、life-worldという現象学的社会学の概念を用いて、伝統的な「家」と近代化する「社会」の間に置かれた主人公の経験、つまり「個人」の誕生あるいは「自己の発見」の記述に目を向けた。なぜなら、近代化が人間の精神的世界にもたらす変化が費孝通にとって常に肝心なテーマであり、彼が従事した社会学研究と裏表の関係にあったからだという。質疑応答では、life-worldという分析概念の妥当性について、「家」という中国語の訳し方について、そしてなぜ費孝通が社会学研究のみでは満足せずあえて小説を書かなければならなかったのかについてなど、多方面から質問とコメントが寄せられ、ディスカッションが盛り上がった。報告者が特に興味深く感じた点の一つは、作品の読み方の問題であった。即ち、今回の講演は費孝通の小説を社会学的観点から読み解いたが、もし文学作品として扱う場合は、いかなる解釈の余地があるのだろうか。言い換えれば、果たしてこの小説は中国文学史上にどのような位置を占めているのだろうか。今後は文学研究からの応答に期待する。
報告者:ニコロヴァ・ヴィクトリヤ(EAAリサーチ・アシスタント)

 

次に登壇された石井氏は、「Philosophy in Tokyo/Tokyo in Philosophy」と題する講演を行った。石井氏は、まず、人間の生存基盤(例えば、空気)に対する哲学的思考や、都市光景に隠された空間の政治性などの問題意識を通して、「東京」を哲学的に捉え直す際に、注目に値する方向性と可能性を提示した。「東京」、そして、「都市」をいかに哲学するか?石井氏は、少年時代の寺山修司(歌人・劇作家)が詠んだ「東京」を出発点に据えて、「都市」を遠望するための二つの補助線を引いてくれた。一つは、現代生活への憧れとして人々の心に描かれる「都市」であり、もう一つは、高橋哲哉(哲学者)による「犠牲のシステム」に維持された経済成長と現代性を享受する「都市」である。このように、二つの「都市」の隙間に光を当てることで、石井氏による「Philosophy in Tokyo/Tokyo in Philosophy」の根本的なモチーフをうかがい知ることができるのではないかと思う。さらに石井氏は、寺山修司の詩文の響きを手がかりに、ギリシアのポリスとハンナ・アーレントの思想を取り上げ、「必要(necessity)」と「自由」について議論を展開した。そこから、「必要(necessity)」が資本主義システムの中で無限に生産され、増殖し続ける「欲望」へと置き換えられたという、私たちに迫っている状況と現実について論じ、講演を閉じた。
報告者:李佳(EAAリサーチ・アシスタント)

 

2024116日に、Summer Instituteのスピンオフバージョンの一環として、東京駅や豊洲市場へのフィールドトリップが実施された。
午後、北京大学・東京大学両校のEAA教職員と学生たちは、隈研吾によって内装環境がデザインされたKITTEに訪れ、2階と3階にあるインターメディアテクというミュージアムを見学した。その中には主に東京大学が1877年の開学以来蓄積してきた学術標本や研究資料が展示されている。現代の都市空間のなかで歴史的な遺産を再現させるデザイン技術を体感した。
その後、皆さんは寒風の中で豊洲市場に行き、水産卸売棟を見学し、市場の施設や環境への取り組み、作業の流れなどを理解して、その中で市場の清潔さに特に感心した。豊洲市場を出て、夕日が沈む時で、皆さんは美しい霞の光の下で別れを告げて、楽しくて充実した一日を過ごした。
報告者:林子微(EAA リサーチ・アシスタント)

 

2024年1月17日(水)、北京大学から訪問した9名の学生が、16日の豊洲フィールドトリップを踏まえたプレゼンを行いました。石井剛先生が提示したPhilosophy in Tokyo/Tokyo in Philosophyというテーマの下、新海誠のアニメーションと東京の関係、東京駅と東京駅に外観が似たソウル駅の比較、東京と中国の価値観の違いなど、限られた準備時間にも関わらず、どのグループも豊富な予備知識に支えられた興味深いプレゼンでした。その後のディスカッションでも英語にて活発な意見交換が行われました。過密なスケジュールの中で素晴らしい交流をして下さった北京大学の皆さまに感謝いたします。
報告者:栞里(EAAユース4期生)

 

北京大学からEAAの学生たちが東京にやって来た。昨年夏にこちらからSummer Instituteと称して北京を訪問したが、今回はWinter Instituteとして来日ということらしかった。彼女たちとは、夏に初めて顔を合わせてから、およそ5ヶ月ぶりの再会だった。
東京3日目のこの日、午前中に中国大使館を訪れた彼女たちと合流し、東京駅から豊洲市場までのフィールドワークに同行した。東京駅に隣接したKITTE丸の内では、JPタワー学術文化総合ミュージアム インターメディアテクでの常設展示『Made in UMUT – 東京大学コレクション』を共に巡った。かつての東京大学の校舎の雰囲気を残す博物館内をゆっくりと歩いた。それは展示を見ること以上に、どこかインタビューめいた探り合いではなく、お互いの大学について、普段の大学での生活について、自然と言葉が出てくるような場として働いていた。
ゆりかもめに乗り込んで、豊洲へと向かおうとするとき。ある学生と隣り合って座席に腰を下ろした。「こんにちは、夏に訪問したとき以来ですね、、えと、そのときには、こんなことを話して、そう、ちょうど万里の長城の入り口付近でこんな話をした、あの時の私です、ええと、覚えていますでしょうか?」迷いのある英語を頭の中で転がしながら、どう話しかけようかときっかけを探していた。ゆりかもめの大きな窓から、西日が差していた。「お久しぶりです。」彼女の方から、日本語で声をかけてくれた。こちらも「お久しぶりです。」と丁寧に返した。これだけで十分だったじゃないかと、迷いが消えた。フィールドワークを終えた帰りの電車では、自宅に向かう私だけが先に電車を降りることになった。混雑する夕方の車両内で「翌日の発表会を楽しみにしています。準備も大変だと思うけど、頑張って。」と全員に声をかけるわけにはいかなかった。「また明日!See you tomorrow! 」と伝え電車を降りた。これだけで十分だと思える関係になっていた。
春には北京大学から5人、EAAの学生として駒場にやってくる。その中には今回のWinter Instituteの参加者もいる。今度は迷わず「好久不见!久しぶり!」と声をかけよう。
報告者:岩元勇都(EAAユース4期生)