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2024.05.09

【報告】第25回東アジア仏典講読会

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2023年7月15日(土)14時より、第25回東アジア仏典講読会をハイブリッド形式にて開催した。今回も前回に続き柳幹康(東京大学東洋文化研究所准教授)と小川隆氏(駒沢大学教授)により、それぞれ大慧の普説ならびに『宗門武庫』の講読がなされた。

 

 

柳は「姜機宜請普説」の講読を行った。これは姜機宜(姜は姓、機宜は官名)に大慧が説いた普説(説法)であり、大慧68-70歳の作である。そこで大慧は以下のような自身の悟りの体験を回想している。すなわち、36歳で初めて師の圜悟に参じた際に「悟道」したが、「寂滅現前」(心の究極の静けさが出現)しなかった。圜悟もその境界を認めず、大慧は更に半年の間公案(禅の課題)に参じて「理会」(悟得)し、圜悟から嗣法したが、なおも「大自在」(偉大なる自由)は得られなかった。「寂滅現前」と「大自在」を得たのは40歳、圜悟のもとを離れた後『華厳経』をひとり読んでいた時のことであったという。前回取り上げた「零零砕砕悟来」(大慧が雲門・曹洞両宗において細々と悟っていたこと)と合わせ、大慧が悟りを一回限りのものではなく、複数回ありうるものと見ていたことが読み取れるのではないかと柳は論じた。

 

 

小川氏は『宗門武庫』の第13段、円通法秀と慶蔵主の話を講読してくださった。円通法秀は雲門宗の天衣義懐に嗣法した禅僧であり、慶蔵主は有名な修行僧で、当時の名だたる禅僧に遍参していた。慶蔵主が道秀という修行僧とともに当時の都開封の法雲寺に参じた際、住持の円通法秀は道秀のみを受け容れ、慶蔵主の入門を認めなかった。道秀がとりなおしても功を奏さず、慶蔵主は相国寺の智海禅院に身を置き、やがて病を得て床に臥せってしまった。それを不憫に思った道秀は禅寺の規律を破り、ひそかに見舞ったが、慶蔵主は円通法秀に手紙を認め道秀の規律違反を告げ口した。すると円通法秀は慶蔵主の不誠実に激怒して痛罵し、その話を聞いた慶蔵主は息を引き取り、世の人々はみな「円通法秀の非難により慶蔵主は亡くなった」と言ったのだという。

以上の講読に対し、大慧の悟境の深まりを何段階に分けて考えるべきなのか、『宗門武庫』の解釈などについて幾つかの質問があり、意見の交換が為された。

報告者:柳幹康(東洋文化研究所)